2009年12月29日火曜日

仕事納めのはずが・・


今日は29日で、朝には仕事納めの挨拶をしたよ。

ところが昼から夜の9時過ぎまで手術の連続で、ついさっき終わったところ。

どうしても先延ばしできないものばかりなので仕方ない。

おまけに明日の午前もお仕事になってしまいました。

今夜の夕食には私以外の家族は皆そろったというのにね。

こんな年末は新婚以来かなあ。

どうか、今年は明日で仕事が一応終わりますように・・。

2009年12月28日月曜日

帰省


昨日、上の息子が沖縄から帰ってきた。

今4年生なので順調に行けば後2年余りで卒業する。

殊勝なことに、卒業後はなんと親のいる地元に帰って就職予定。

親の欲目かもしれないが段々と「らしく」なってきて、なんとも頼もしい。

家に帰ってから3時間後に、友達と会うという彼を駅前まで送ってから私は当直に入った。

久しぶりの当直は結構忙しくてほとんど眠れないまま今日の午前の仕事に入り、午後にやっと帰宅。

彼はなんと年明けのテストにむけて試験勉強をしてましたよ。

昔の私はこんなに勉強してたっけかなあ・・。

今夜遅くには下の息子が帰ってきて、明日の午後には娘が帰ってきてくれます。

普段は妻と二人きりだが、久しぶりに家族皆がそろうのでうれしいね。


2009年12月18日金曜日

今年の初雪


ここ数日は当直だったり一日おきに朝帰りだったりと何かと大変。

今朝は昨日の昼からずっと手術室で過ごして、6時前にやっと仕事から解放されました。

でも8時半から今日の仕事が再開するので、お風呂に入って着替えるためにとりあえず家に帰りました。職場の駐車場のマイカーのフロントガラスには雪が凍りついていましたよ。

家に帰ってお風呂に入ったら、その後についうとうととして一時間ほど眠り込んでしまいました。8時前に目が覚めてあわてて職場に向かいました。

そしたらなんと山は真っ白に冬化粧。わおー、目の保養になりました。

ワンチャンス、橋の上で信号停止の間に写真を撮りましたよ。

寒いのは苦手だけれどこんな景色も良いよね。


2009年12月7日月曜日

築19年の玄関ドア


わが家の玄関のドアはスエーデン製の木製ドア。

安普請の家だがドアと窓だけは別立てで購入して取り付けてもらった。

ドアは北欧の気候に合わせて断熱がしっかりしていてガラス部分も2重になっている。

でも外側は木肌がそのまま出ているので手入れが欠かせない。

最低でも年に二回はチークオイルを塗って手入れをしてきた。

昨日はやっと時間がとれて1時間ほどかけてオイルを塗った。

初めはもっと明るい色だったが段々と黒ずんできてここ数年はこんな感じ。

オイルが切れてくると白っぽくなって古さを感じさせるが、丹念にオイルを塗ると見違えるような落ち着いた佇まいを見せてくれる。よくがんばってるなあって感じもするよ。ドアだけど・・。

でも同じメーカーのドアでも手入れが悪いと表面の木がささくれたり、剥がれてめくれたりしているのをときどき見かける。他人の家ながらちょっとつらいね。

一番下の息子の歳よりも一年歳下の築19年の玄関ドア。

これからも大事にするよ。




2009年12月5日土曜日

トレーニング・ジム初体験

今日の土曜日は久々にお休み。

ここしばらく続けて土・日と仕事が入っていたから、疲れが溜まっていたせいで8時過ぎまで寝てました。このままボーッと一日過ごすのもよいけれど、もともとが貧乏性で何かしてないともったいない気がします。

で、以前から妻に誘われていたトレーニング・ジムとやらに出かけることになりました。

昼過ぎに隣町の町営ジムに行きましたが、結構たくさん来ていましたね。若い人はちらほらで、私の年くらいの方と相当なお年をめされた方のほうが断然多いです。

それと筋力はあるけれど、体型的にはどう見ても「メタボ」系の方が多数派でした。

妻とトレーナーさんとに交互に教えを請いながらトレーニングマシンによる筋トレを開始。

初めは両腕を開いて胸の前で閉じる運動。負荷は女性用の8Kgでお願いしました。それでも結構大変。途中で腕が震えてきましたよ。毎日腕立て伏せはしているけれどこんな筋肉は使わないからね。

次々とマシンを変えて腹筋やら脚の筋肉を使うトレーニングをこなしていきましたが、どれもこれもこうしたトレーニングマシンを使わないと鍛えにくい筋肉がほとんどでなるほどと感心しましたよ。

結局2時間余り筋トレだけして終わりましたが、軽い疲労感とともになんだか身体が軽くなったみたいな不思議な感覚。

妻が病みつきになるのもわかるような気がしましたよ。

また時間ができれば行ってみようっと。

2009年12月1日火曜日

診療報酬引き上げ 厚労省 vs 財務省

自公政権から民主党中心の連立政権にかわって政治が「よりまし」になるのではないかと期待していた。

良い兆しも見えるけど、やっぱりなあと思うこともしばしば。

最近になって鳩山首相自身が政治資金問題できな臭くなってきたし、うまくまとまりきれない政権だなあと感じる。

「医療崩壊」についても自公政権末期には80年代からの「医療費亡国論」による医師増加抑制と小泉政権のもとでの低医療費政策がその原因とまで政府内で認識されていたはず。

それまで財務省主導で毎年2200億円の社会保障費を削減してきていて「もう限界」と確かに言っていたよ。

だのに、政権が代わってもなんで同じことをするのかなあ。

民主党の政治家さんが医療費の総枠を増やさない限り医療は再生しないってことがわかってないのだね。

さすがに厚労省は現場に近いだけにとうにそのことがわかっているのにね。




診療報酬引き上げ求める 厚労省が財務省に反論
2009年11月30日 提供:共同通信社

 厚生労働省は27日、来年度の診療報酬改定について「日本の医療費は諸外国より低水準にある。報酬を引き上げず、配分を見直すだけでは大きな財源は生まれない」と、引き上げを求める見解を公表した。

 財務省が、報酬全体で3%程度の引き下げを求めていることへの反論。長妻昭厚生労働相ら政務三役の指示でまとめた。

 見解は「救急、産科、小児医療など医療現場の疲弊は著しい」と強調。報酬の大半は看護師の給与や医療機器などに費やされ、医師の収入部分は多くないと反論した。

 経済協力開発機構(OECD)加盟30国の中で、2007年の国内総生産(GDP)に占める医療費の割合をみると、日本は21位(8・1%)で、OECD平均(8・9%)より低いと指摘。「医療再生のため努力が必要だ」と訴えた。

2009年11月20日金曜日

フィレンツェの路上駐車



フィレンツェから帰ってほぼ一週間。

毎日車で出勤してますが、地元の道路はとっても平和。気楽に運転してます。

実は向こうへ行くときに「国際運転免許証」なるものを持っていきました。

レンタカーを借りて田舎を走ろうと思っていたのね。

旅行の直前に免許証を交付してくれた免許センターの窓口の方が「どうぞ、お気をつけて」としんみりおっしゃったのが気になっていましたよ。

でも、着いてみてすぐに私に運転は無理だとわかりました。

一方通行の道路の片側は路上駐車の車が列をなし、残った狭い道を車やバイクがびゅんびゅん飛ばしてきます。誰も彼もがとにかく強気で突っ走る感じ。これがイタリア気質かなあ。

駐車している車をよく見るとバンパーや側面は傷だらけ泥だらけ。ホイールは歩道の側面でこすれて傷だらけ。まともにきれいな車はほとんどありません。しかも、よくこんな間隔で止めるよなあという止めかたも当たり前。

私の住んでる土地は運転が荒いので有名だけれどフィレンツェと比べたらおとなしいものですよ。ほんとに気楽。車も皆きれい。もちろん私も大事に乗っていますよ。

一度も使わなかった「国際運転免許証」。有効期間は一年だけれど、きれいなまま返すことになりそうです。


2009年11月15日日曜日

緊急呼び出し


夕べ旅行から帰ったばかりなので、さすがに今朝はいつもより少しだけ遅く起きてワンコと散歩に行きました。

妻は疲れて昼前までぐっすりと眠り込んでいました。

居間でくつろいでいると9時半に携帯が鳴り、表示を見ると職場からでしたよ。

今日は日曜日だし、私はまだ休みのはずなんだけどなあ。

こういうときはきまっていい話ではないのでいやだったけど鳴ったものは仕方ない。

案の定、同僚から「緊急の手術」ですと。

私がいなくてもできそうに思うけど受けた以上断るわけにも行かず、昼から夜までお仕事になりました。

これでは旅の余韻を楽しむ間もない。

また、空を飛びたくなったよ。

2009年11月13日金曜日

Ciao!


これから食事をしてフィレンツェの空港へ行きます。

長いと思っていた旅ももう終わり。

よい思いでがたくさんできました。

また、来たいですね。

Ciao!

灯台下暗し



昔からよくいうことわざに「灯台下暗し」というのがあるけれど、今日はこれがぴったりの出来事がありました。

実はフィレンツェにきてから朝は早くにホテルを出て遠くの市場や土産物店、レストランに行っていました。ホテルには夜になって帰ってくるのでホテルの周囲のお店はいつも閉まっていたわけで、どんなお店があるのかは今日まで知りませんでしたよ。

明日の朝には空港から飛び立つので、今朝はいつも通り市内見物や土産物店などに出かけ昼前に一旦ホテルに戻りました。

すると何だかホテルの周囲の雰囲気が違います。たくさんのきちんとしたお店があって中心部と負けず劣らずにぎやかです。
遠くまで買いものに行く必要なし。しかも今まで敬遠していたレストランで初めて夕食を食べましたが、ここが一番おいしいものを出してくれました。ガイドブックに載っていたお店よりよほどしっかりした料理でしたよ。
こんなことならここで毎日食事をすればよかったと後悔しましたが、最後にほんとにおいしい料理に出会えてHAPPY!




2009年11月12日木曜日

今日は散歩で・・



朝は一応ミケランジェロ広場へ行くことになり、徒歩で広場まで歩きました。

町並みを見ながら丘に上がるとサン・ミニアート・アル・モンテ教会があり、まずはそちらの見学。林の中を歩くとやはり日本とは違うなあと思わされます。

広場からの眺めはとても良かったけれど、やはり教会が落ちつきます。妻にだいぶ感化されましたね。

丘を下りアルノ川に沿って中央駅のほうへ向かい、有名な革製品を扱う店に行き子どもたちへのお土産を買いました。いくつになってもお土産ってもらうといいよね。

ウフィッツィ美術館の裏のカフェテリアで簡単な食事をして、再び同じ美術館巡り。
二回目なので余裕で見てまわりました。当たり前のことかもしれませんが、ルネッサンス当時の有名な画家たちは一様に権力者たちからの注文を受けて絵を描いていたことで絵の主題が必然的に聖書に基づいた宗教画や肖像画などにならざるを得なかったのだとわかりました。また宗教改革前後の絵の表現の違い、特に聖人の扱いなどについても自分たちで勝ってな解釈をしながら楽しむことができました。

ジェラートを食べて鋭気を養ったあとは妻になんと十年を経て約束のプレゼントを買いました。この間幾度となく「一緒に行って買ってこようね」といい続けていたことが実現して心から満足!

夜はトラットリアで食事。だいぶ要領がわかってきたのでたいていのお店に入っても大丈夫。
でも今夜のお店ではメニューに日本語で添え書きがしてありました。だからno problem!

いっぱい歩いて、いっぱい食べた一日でした。

さて、楽しかった今回の旅行も明日が最終日。本音はもっと長くいたいけど仕方ないですね。

三回目のウフィッツィ美術館巡りとお土産を買い足しながらゆっくり過ごす予定です。


2009年11月11日水曜日

サンタ・クローチェ教会とウフィッツィ美術館へ




今朝は宿の近くのサンタ・クローチェ教会へ。
すぐ近くにいながら有名どころを避けてましたが、一応見ておこうかなと・・。
残念ながら内部のほとんどは補修中で余りよくは見えませんでした。

その後はサンタンブロージュ市場へ行こうとして遠回りして大通りにでたら、次々と観光バスが止って中からぞくぞくと降りてきたのはなんと日本人の団体旅行客ばかり。

市場は小さくてあまり収穫はなく、兼ねてからの目的のウフィッツィ美術館へと向かいましたがここでも日本人の集団がぞくぞくと集合してきます。まあ、大変な数ですよ。

時間があったのでお土産を探して「IL Papiro」という墨流しに似た技法でつくったマーブル紙を売っているお店に行きました。店主は日本語がうまくて「まあ、見た行きなさいよ」とマーブル紙を作る実演をしてくれました。きれいにできるものだと感心したあとはうまく乗せられて50ユーロ余りを使ってしまいましたよ。とても商売上手!

私はウフィッツィ美術館は二度目なのですが、今回はクリスチャンでもある妻とじっくり見て回りました。驚いたのは聖書を読み込んでいると宗教画に対する理解度が違うんですね。いろいろと教えられることも多くてあっという間に3時間が過ぎました。充実した時間を過ごせて満足。
明日も行くことになってます・・。

2009年11月10日火曜日

キャンティー半日ツアーに行きました




突然ですが、今朝になって妻がこんな半日ツアーがあるというので「キャンティー半日ツアー」に参加しました。

予約はTELでしようとしましたが、言葉が通じずに断念。

結局、フィレンツェ中央駅のツーリストに直接申し込みに行って午後からのツアーに参加できました。いろいろな国からの参加者がいてにぎやかでした。

シエナに向かう途中で方向を変えてキャンティーという地方のワイナリーに向かいました。

ブドウ畑とオリーブ園が連なる丘陵地帯で紅葉もみえてすっかり秋の気配でした。

このツアーはガイドは英語のみなので、ワイナリーでは細かいことはよくわかりませんでしたが皆でおいしいワインとサラミを戴きました。

私は控えめに味見だけしましたが久々に少し酔ってしまいましたよ。

短い時間でしたがトスカーナ地方の郊外の雰囲気が楽しめてGood!

2009年11月9日月曜日

フィレンツェ2日目





ゆっくりするはずの二日目の今日は朝早くから勤勉に動いてしまいました。


クリスチャンの妻は日曜日には旅行先の教会で「礼拝を守る」のを常にしているのです。

というわけで今朝も雨の中をアルノ川の対岸にあるルーテル派の教会まで歩いていきました。

私もお伴で礼拝に出ましたよ。当然イタリア語でのお説教なのでチンプンカンプンでしたが、雰囲気だけは日本の教会と同じでした。


礼拝のあとで牧師と信者の何人かでお茶とケーキをご馳走になりましたよ。たどたどしい英語+あやしいイタリア語でお話しをしましたが、日本とさほど変わりなく歓迎していただいて楽しい時間を過ごしてとてもハッピー。


その後はピッティ宮殿の見学をしたあと市庁舎の傍のレストランで早めの夕食。


一品ずつ三種類の料理を注文して妻とシェアーして戴きました。これでもお腹いっぱいで食べ過ぎでした。外食は「適量」というのが難しいね。でもシーズンオフなのかお客がほとんどいなくてゆっくりできましたね。


あとは付近を散策してホテルに戻りましたよ。たぶん時差の影響かな、眠くて困ります。

明日はバスか電車で少し郊外へ出てみようと思っています。

2009年11月8日日曜日

フィレンツェに到着!



とうとうフィレンツェに着きました。

やっと宿に落ち着いたところ。

ホテルは小さくてぼろっちいけど、フィレンツェの中心部にあるので観光には便利。

でもね、家を発ってから関空を経てアムステルダム経由でフィレンツェへ着くまで実に22時間程かかっていますね。

疲れましたよ。

今夜はゆっくり寝て、明日はゆっくり計画を練ることにします。

2009年11月5日木曜日

学校の先生は大変だね:試用期間の退職・過去最多

これってわかるよねえ、退職したくなる気持ち。

私も若い頃はいつ辞めようかって何度も思ったし、管理職になってからはいつも思っているよ。

ただし、最近はいつになったら辞めさせてもらえるのかなあという感じですけどね。

でも、最近の人なら自分が生徒や学生だったころのことを考えれば教育現場の過酷さは想像がつくはずなんだけどなあ。

やはり立場が代わって自分が実際にその立場に立ってみないとほんとの大変さはわからないのかもしれない。
そのうえ同僚や上司・部下との人間関係も結構大変ですしね。

それにしてもやめていく人の3割が精神疾患というのも人相手の仕事の大変さを物語っている様な気がします。

モンスター○○○・・、などという言葉がいろんな「業界」で聞かれますものね。

実際にこういった相手に当たるとその対応は一人ではとてもできませんね。必ず複数で、しかも管理職と緊密に連携をとって組織的に対応しなければうまくいきません。
そうしたときの対応マニュアルがしっかりあることと、結束して立ち向かう職場風土が欲しいし、学習会なんかも大事ですよね。
それともっと先生を増やしてお互いに気配りができるくらいの「ゆとり」が先生自身に必要だと思います。

せっかく政権交代ができたのだから、政府がもっと教育にお金をかけて欲しいです。






教員:試用期間の退職、過去最多の315人 3割は精神疾患--08年度

 1年の「試用期間」のうちに、教壇を去った公立学校の新人教員が08年度は過去最多の315人(前年度比14人増)に上ったことが、文部科学省の調査で分かった。うち約3割の88人は精神疾患を理由に退職していた。文科省は「イメージと現実とのギャップで自信を喪失し、うつ病などになるケースがある」とし、相談相手となるべき先輩教員らの支えや目配りを求めている。

 教員は、一般の地方公務員(半年)より長い1年の「条件付き採用期間」を経て正式採用が決まる。08年度は小中高校、特別支援学校などで2万3920人が採用され、このうち1年後に正式採用に至らなかった315人は1・32%(前年度比0・06ポイント減)を占めた。10年前(98年度)は0・27%の37人で、8・5倍に達している。

 315人のうち依願退職者は304人(前年度比11人増)。病気が理由だったのは93人で前年度より10人減ったが、5年前の10人、10年前の5人と比べると急増ぶりが際立つ。文科省が今回初めて精神疾患の人数を調べたところ、「病気」の95%を占めた。

 このほか、わいせつ行為や飲酒運転を理由に懲戒免職となったのが5人。不採用決定を受けたのは4人。死亡退職は2人だった。

 また、自ら望んで降任した教員も過去最多の179人(同73人増)に上った。主幹教諭からの降任が89人、副校長・教頭からの降任が84人。望んだ理由は、精神疾患を含む「健康上の問題」が95人と半数を超えた。

 教育委員会から「指導力不足」と認定された教員は4年連続で減少し、08年度は306人(同65人減)。指導力不足と認定され、研修後に復帰し、再度認定された教員8人も含まれる。
【加藤隆寛】毎日jp

国際運転免許証

昨日、突然思いついて「国際運転免許証」なるものを交付してもらいました。

これも突然ですが、思い立ってこの週末から1週間イタリアのフィレンツェへ滞在型観光に出かけます。

インフルエンザが流行ってきている中で内心どうかと思うのですが、親の介護や仕事などさまざまな条件を考えると今しかない!という気になりました。

実は今を去ること10年前に私は研修でその国を訪れて以来、いつか家族と一緒に来たいものだと思っていました。

リビングの壁掛けに置いてある当時のロンドンから送った絵はがきに「明日はイタリアです。いつか家族皆で来ようね」と書いてありましたよ。

10年ぶりに思いがかなうことになったけど、子供たちはそれぞれに忙しくて旅行には妻と二人で行くことになりました。去年結婚25周年でオーストリア旅行を企画したけど、直前にいろんなことが一気に起こってドタキャンになったので今回はそのリベンジですね。

妻が子供たちに伝えたら一様に好意的な反応だった様ですが、末の息子が言うことには「二人ともケンカせんどってな」ですと。

末息子は昔から私たち夫婦の仲が悪いと不安になるようで二十歳になった今も変わりないようです。

あれやこれやと欲張らず、ゆっくりのんびりと過ごしてこれたらよいなあ。レンタカーでちょっと遠出もよいかもなあ。

突然すぎてか不思議と緊張感もなく黙々と準備を進めています。

2009年10月28日水曜日

新型インフルエンザのワクチン接種を受けた

今日の午後、とうとう新型インフルエンザのワクチン接種を受けた。

いまのところ何ともないが、やはり副作用が心配。

まあ、がんばって仕事をしろということなんでしょうけどね・・。



新型インフル:ワクチン接種調査 4人に入院相当の副作用


 厚生労働省は23日、医療従事者約2万人を対象にした新型インフルエンザワクチンの副作用調査で、4人に一時的な歩行困難など入院相当の異常が見られたと発表した。ワクチン接種との因果関係はいずれも不明で、全員回復している。季節性のワクチンと異なる副作用はないという。

 19日から医療従事者約100万人への接種が始まり、うち国立病院機構の67病院にいる2万2112人に副作用の報告を求めた。重い副作用とされたのは▽両足の筋肉痛による歩行困難▽嘔吐(おうと)▽脈拍の上昇▽発熱と意識低下--の4例。他にショック状態など軽い副作用報告が3例あった。2万人以外の医療従事者からも25例の報告があったが、すべて回復しているという。

 季節性のワクチンでは、毎年4000万~5000万人への接種で百数十例の副作用報告がある。今回の重い副作用の率は0.02%でそれより高いが、厚労省は「調査方法が違うので、新型のワクチンに副作用が起こりやすいとは言えない」としている。【清水健二】毎日jp

2009年10月26日月曜日

映画「沈まぬ太陽」


今日は久々に剣山に登るつもりで年休を取っていたのだが、あいにくの雨。

昨夜の時点であきらめて映画「沈まぬ太陽」を妻と二人で観に行くことにしていた。

原作は文庫化された数年前に読み終えていたが、内容はあらかた忘れてしまっていたので今日観た映画では随所で新鮮な感動を覚えた。

途中休憩もありという3時間越えの長い映画だがだれることもなく、淡々とした描写の中にも「御巣鷹山・日航機墜落」という真実のもつ重み、深みも感じられ当時のことを思い出しながら本当に大変な事故だったんだと改めて感じた。

主人公がまっすぐに生きようとするあまりに生じる周囲との摩擦や軋轢、家族の負担などはちょっぴり自分の身に置き換えて考えさせられた。

あと政治や労働組合運動なんかにも結構するどく切り込んでいてフィクションの態をなしてはいてもよく映画化できたなあと感心。

うーん、生きるって難しいよなあ。自分がいくらがんばっていると思ってても、結局は周りの理解と支えがなくては生きていけないよね。そして必ずといっていいくらい周囲に迷惑というか負担もかけているんだよね・・。

今日の観客は私たちかもう少し上の世代の方が多かったようで、このての映画にしては珍しくほぼ満席でした。
渡辺謙初め達者な役者さんと演出で良い感じに仕上がっていましたよ。
お勧めの映画です。

(写真はある日のわが家から見た沈む夕日)


2009年10月24日土曜日

紅葉


玄関先のアメリカハナミズキがきれいに紅葉した。

この前から少しずつ色が変わってきていたが、今朝はとっても色鮮やか。

周りの木々はまだまだ青いけれどここだけは一足先に秋の訪れを感じさせてくれる。

明日は天気が良ければ剣山へ紅葉を見に行く予定をしていたが、どうも天気が崩れそう。

中高年の登山で遭難というのもよくあるらしいので、残念だが今年は見送ろうかと思っている。

何事にも、無理はいけないね。

2009年10月22日木曜日

新型インフルエンザのワクチン接種開始

私の勤める職場では今日から新型インフルエンザのワクチン接種が始まった。

今週初めに一回目のワクチンが届いたが、事業所から出した希望数の約三分の一の数しか来なかった。二回目の配布は月末でやっぱり同じくらいしか来ないらしいので三分の一の職員は受けることができないってことらしい。

県内の他の病院や診療所も同じような状況で、私のところはこれでもまだ少し多めに届くみたい。

それで職種ごとに優先順位を決めて予約制にして実施することになった。

で、昨日から院内LANで予約することになっていて、今朝見たら今日と明日はすでに予約で全部埋まっていた。皆早いね!

私はなんとか空いていた来週の最終日に予約した。

パソコンに向かって予約していたら、隣にいた同僚が「これって、結局新しいワクチンの臨床試験を真っ先に受けるってことかねえ。一ヶ月くらいうちに重大な副作用がでるかもなあ。今回は止めとこうかなあ。」ですと。

そういわれればそういう側面もあるよなあと思ってしまったが、皆に受けるように勧めた手前自分がパスするわけにはいかず気が進まないけどまあ受けてみます。

ワクチンの副作用で寝込んだらシャレにもなりませんけどね。


2009年10月15日木曜日

ノーベル平和賞の受賞基準

ノーベル平和賞の受賞はやっぱり基準が違うんだったよ。

「毎日jp」の記事を読んで一応納得。

がんばれ、オバマ大統領!

鳩山首相も足もとが危なそうだけど・・、平和の問題ではオバマ大統領と同じで応援してますよ。




ノーベル賞=東京大教授・伊藤隆敏

 ノーベル賞の各賞が発表された。平和賞は予想外にもオバマ大統領に決まった。米市民の反応も、大統領就任後9カ月足らず、何が評価されたのか、という戸惑いが多い。授賞理由では、核のない世界への決意が高く評価されているが、演説だけでまだ成果が出ていない。そもそも現役の政治家が受賞すべきものか、疑問もある。

 しかし、授賞理由についてのノーベル委員会事務局長の会見を見て、疑問が氷解した。平和賞について、ノーベル氏の遺言は「前年の業績」に対し与えられるもので、業績の具体的内容には、国と国の間の友愛(フラタニティー)を推進する、兵器削減に貢献する、平和会議を開催する、の三つがあげられているのだという。「前年の業績」という条件にオバマ大統領はぴったりだったという。平和賞は、生涯の貢献や、成果の出た貢献への授賞ではなかったのだ。

 ノーベル経済学賞(こちらはノーベル氏の遺言にはない賞)は、エリナー・オストロムとオリバー・ウィリアムソン両教授に決まった。こちらも予想外の人選。オストロム氏の業績は、共有地(放牧地など)の統治に関するもの。通説は「市場の失敗」として政府が関与すべき、だが、氏の主張は利用者が利用規則を工夫して資源維持可能な共同利用を実現していることが多いという発見だ。ウィリアムソン氏の業績は企業統治に関するもの。市場取引と企業内取引(統治)、その中間(長期契約)が、どのような場合に発生するかを取引費用の観点から解明したものである。

 共通のキーワードは「統治」(ガバナンス)。金融危機の深刻化から1年後の経済学賞は、市場原理主義でも政府介入万能でもない、資源配分メカニズムの研究に決まった。

毎日新聞 2009年10月15日 東京朝刊 毎日jp

2009年10月11日日曜日

オバマ大統領のノーベル平和賞受賞

オバマ大統領のノーベル平和賞受賞が決まったと聞いたとき、「えっ」と思った。

だって、この前大統領になったばかりだよ。

国際貢献での実績といえば「9月24日に国連安全保障理事会で、オバマ大統領は議長として核不拡散と核軍縮に関する首脳級会合を開き、「核兵器なき世界」の条件作りを目指す決議1887を全会一致で採択した。」ことくらいかな。

これは画期的なことだし国際的には評価もされて当然と思う。オバマ大統領は偉いと素直に思う。

だけどまだ「実際に核兵器が減った実績」も無い。

イラクの状況はよくなっているわけではないし、アフガニスタンだって米軍の大幅な増兵を必要としている状態だよ。こんなときに「ノーベル平和賞」受賞っていいのかなと思ったわけ。

結果としてオバマ大統領を権威づけて国際的支持を強めたりする「効用」はあるかもしれないが、「ノーベル平和賞」ってそんなものだったのという戸惑いもある。

佐藤栄作ももらってるくらいだから、やっぱりそんなものかもなあ。

どうやらおなじノーベルでも「平和賞」は基準が違う別物ってことだね。





オバマ政権の負担に?…平和賞で広がる戸惑い
【ワシントン=黒瀬悦成】


 ホワイトハウスでは同日、ギブス大統領報道官に記者団が「冷戦終結に道を開いたレーガン大統領は受賞していない」「ウィルソン大統領以降の受賞者はカーター元大統領、ゴア元副大統領と民主党員ばかりだ」と選考に関する質問を次々に浴びせ、報道官は「私はノーベル賞委員会の一員ではない」と懸命にかわした。
 一方、保守派の論客からは「大統領は受賞を辞退しろ」(グレン・ベック氏)、「ノーベル賞委員会は自らの権威を失墜させた」(ラッシュ・リンボー氏)と強硬な批判が相次いだ。平和賞の受賞に保守勢力が一斉に反発を始めたことで、医療保険制度改革などの内政面で目立っていた民主・共和党間の亀裂が、外交分野でも一層鮮明になるのは確実と見られる。
 オバマ政権にとって、アフガニスタンへの米軍増派の是非など、安全保障の根幹にかかわる懸案では、国論を分断させないためにも共和党を含む超党派の合意が欠かせない。今後、核不拡散などで実績を上げられなければ、世論の失望感が一気に高まることも予想され、大統領は受賞がかえって負担となり、苦しい立場に追い込まれかねない恐れがある。

(2009年10月10日21時30分 読売新聞)



ノーベル平和賞「核なき世界」オバマ大統領


 【オスロ=大内佐紀】ノルウェーのノーベル賞委員会は9日、2009年のノーベル平和賞を「国際協調外交を推進した功績」で、米国のバラク・オバマ大統領(48)に授与すると発表した。

 特に、オバマ氏が核兵器の全廃に向け外交交渉を開始したことを評価した。

 現職米国大統領の受賞は1906年のセオドア・ルーズベルト、19年のウッドロー・ウィルソン以来で、90年ぶり。就任して1年にも満たない大統領が選ばれるのは異例で、同委のオバマ大統領への期待値の高さを示した。

 同委のトールビョルン・ヤーグラン委員長は、核軍縮交渉のほか、国連をはじめ多国間の枠組みを重視し、中東和平交渉など、「対話」を促進していることについて、オバマ氏への「支持」を表明。オバマ氏が提唱する「グローバルな問題に取り組むため、みなが責任を分かち合おう」という考えに「ノーベル委員会が108年間、まさしく追求してきた理念だ」と最大限の賛辞を贈った。

 オバマ氏は今年4月、プラハでの外交演説で、広島、長崎に原爆を投下した米国には、核兵器を使用した唯一の国として、行動する道義的責任があると語り、「核兵器のない世界」に向け、交渉開始を宣言。9月に国連安全保障理事会で、議長として「核兵器全廃に向けた」決議採択を主導した。ロシアと戦略核兵器の大幅削減を目指す交渉を開始、年内大筋合意を目指す。

 授賞には、世界随一の経済力と軍事力を背景にした、ブッシュ前米政権時代の一国主義から決別し、多国間の対話を重視するオバマ氏にエールを送り、米国が国際社会との協調を強めることを促す狙いがある。

 授賞理由では、米国が気候変動問題でより建設的な役割を演じている、とも指摘した。温室効果ガス削減で慎重意見が多い米国世論に大統領への協力を求める意図もうかがえる。

 授賞式は12月10日、オスロ市庁舎で開かれ、賞金は1000万スウェーデン・クローナ(約1億3000万円)。

 ◆授賞理由の骨子◆

 ▽国際的な外交と諸国民の協力強化に向けた比類なき努力

 ▽「核兵器のない世界」の構想とそれに向けた取り組み

 ▽国際機関の役割を重んじる多国間外交が中心的な位置を回復

 ▽米国は気候変動問題でより建設的な役割を演じている

 ▽より良い未来に向け、世界の人々に希望を与えた

 ◆ノーベル平和賞=国際的な平和活動の推進や軍縮などに貢献した人物や団体に授与される。ダイナマイトの発明で富を築いたスウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベル(1833~96)の遺言に基づき、1901年に創設された。

 生理学・医学、物理学、化学、文学、経済学の各賞の選考はスウェーデンで行われ、平和賞だけは創設当時、スウェーデンと連合王国だったノルウェーの国会が選んだ委員会が行う。授賞式は、ノーベルの命日にあたる12月10日。

 日本人では非核三原則を唱えた佐藤栄作元首相が74年に受賞した。

(2009年10月9日21時48分 読売新聞)





佐藤栄作元首相が、日本人として初めてノーベル平和賞を受賞した。
1974年(昭和49年)



 核持ち込みや沖縄返還にからむ、日米間の「密約」問題がクローズアップされている。元外務次官が密約の存在を証言。民主党も総選挙前から「隠しているものはすべて出す」と、政府側を追及し、政権獲得後は外務省内に「調査チーム」を発足させた。

 戦後最長の7年8か月間、総理大臣の座にあった老練な政治家。密約を最も身近に知っていたはずの一人である佐藤栄作元首相に対し、ノーベル平和賞が贈られた。引退から約2年後の1974年10月8日、ノルウェーのノーベル賞委員会は平和賞の授与を決定したのだ。授賞の理由は「日本の核武装に反対し、首相在任中に核拡散防止条約に調印したこと」など。佐藤元首相の非核政策を高く評価するということである。

 平和賞は日本初。しかし、列島全体は喜びいっぱいどころではなかった。「どうして、佐藤さんが?」というのが、正直な反応だった。

 平和賞決定の2日前の6日、米議会原子力合同委員会が「日本に寄港する米海軍の艦艇が、ほとんどの場合、核兵器を積んだまま入港していた」という証言を公表していた。有名な「ラロック証言」(ジーン・ラロック退役海軍少将の証言)である。これは、核兵器を「持たない」「作らない」「持ち込ませない」という日本の「非核三原則」を真っ向から否定する内容だった。

 当然、ノーベル賞受賞の取材で集まった記者も、佐藤元首相にこの問題を質問した。受賞については上機嫌で喜びを語った佐藤元首相だが、ラロック証言については「批判が出ることは結構なことじゃないですか。退役軍人の証言がどこまで本当か知らんが、あまり心配することはないんじゃないの。油断もしちゃいかんがね」とかわした。首相時代の厳しい顔に戻り、口をへの字に曲げてボソボソと語ったという。

 首相在籍中の1972年に佐藤氏は、沖縄返還にともなう土地の原状回復補償費を日本側が肩代わりするという日米の密約問題について、国会で当時の社会党から追及されている。さらに、この問題は“機密漏えい”事件に発展し、新聞記者が逮捕された。沖縄返還を花道として首相の座を降りた佐藤氏だが、花道の陰に隠されたものはなかったのか。(敦)

2009年10月8日木曜日

台風一過



久々に大型の台風が本土へ上陸。

当地は夜の間に暴風域を通り抜けて、朝にはすっかり落ち着いていました。

前日は直撃コースといわれていたので、職場では仕事の調整などで大変な状況でした。
でも備えあればなんとやらで、まずは良かったです。

台風の進路上の地域ではそれなりの被害が出ているようですが、足が速いのがせめてもの救いでしょうか。

わが家の被害といえば、以前台風で水没したことのある駐車場から車を避難させておいたら細かい葉っぱなどで車が汚れたくらいでした。

台風の通過の時間帯は今回もわが家のワンコは家の中に入れておいたのですが、なんとも賢いこと!
70cm四方くらいのシートの上に敷き込んだタオルのうえでワンとも言わず、おとなしく一晩を過ごしました。まったくの手間いらず。特に躾けたわけでもないのでなんとも不思議です。

私のにおいがしみ込んだタオルに効果があったと言う人も約1名いますが・・。


2009年9月28日月曜日

自殺者数>>新型インフルエンザの死亡者数

日本での今年の自殺者数が1−8月で2万2362人。

ほぼ同じ期間での新型インフルエンザによる死者数が10人。

毎日のように新型インフルエンザのニュースが流れ、死者は一人一人が数えられ死亡状況もある程度は伝えられる。

特に幼い子供や若い健康だった人が亡くなるのは心が痛む。

だけど、ちょっと待ってよ。

自殺した人だって好き好んで死んだわけじゃないだろうに。どうしてインフルエンザの死者のように報道してくれないのだろう。

簡単でいいから自殺に至った原因が少しわかるくらいに一人一人数えて報道してくれれば、この国の隠れた病理に少しでも皆が気付いてくれるのではないかな。

そして国民の大多数がこぞってマスクや手洗いをするみたいに、自殺者を出さないようにするにはどうしたらいいのかを皆が考えるようになればいいのにと思ってしまう。

マスコミ報道ってなんだ?



2009年9月28日 18時16分
自殺2万2千人、最悪ペース 8月も昨年上回る

 今年1~8月に自殺した人は2万2362人で、昨年同期より971人多かったことが28日、警察庁による月別の暫定集計で分かった。統計が始まった1978年以降で過去最悪だった、2003年の年間3万4427人に迫るペースが続いている。毎月の自殺者数は、1月以降すべての月で前年を上回っており、8月も昨年より66人多い2497人。昨秋以降の景気悪化が背景にあるとみられている。
(共同通信)




新型インフル、死者10人に


 京都府は2日、新型インフルエンザに感染していた京都府木津川市の男性(69)が死亡したと発表した。
 高知県も、感染の疑いのある県中部の70歳代の男性が1日に死亡したと発表。新型インフルエンザに感染した死亡者は、疑い例も含めて国内で10人となった。
 京都府によると、木津川市の男性は慢性の呼吸器疾患と心疾患があったという。死因はウイルスなどが関係する劇症型心筋炎とみられ、府は「インフルエンザが心筋炎を引き起こした可能性がある」としている。
 高知県によると、70歳代の男性には慢性閉塞(へいそく)性肺疾患や糖尿病の持病があった。

 10人の多く 持病ある人
 新型インフルエンザで死亡したと考えられる10人は、ほとんどが、慢性腎不全や呼吸器疾患などの持病があった。海外では重症化や死亡のリスクが高いと指摘されていた層で、国内でも危険な状況にあることが裏付けられた。
 ただ、欧米などでは重症者の4割が持病のない健康な成人や子供だ。国内で健康な人の重症化が少ないことについて、菅谷憲夫・けいゆう病院小児科部長は「タミフルやリレンザなどインフルエンザ治療薬による早期治療が効果を上げている」とみる。
 新型インフルエンザの世界での死亡率は0・1~0・5%とみられる。1週間の感染者数が10万人以上と推定される日本の場合、毎週100人以上死んでもおかしくない。菅谷さんは「治療薬を積極的に使う現在の診療体制を続けていくべきだ」と主張している。

集団感染1330件、1週間で
 厚生労働省は2日、学校や医療施設などで発生した新型インフルエンザの集団感染(2人以上)の件数が8月24~30日の1週間で1330件に上ったと発表した。都道府県別で多いのは東京都167件、北海道93件、大阪府78件など。10人以上の感染は13件で、内訳は学童保育8件、保育所・保育園3件などで、子供の間で感染が広がりやすい傾向がある。1330件は前週の約1・5倍だが、集計基準が変わっており、同省では「実際の増加割合は不明」としている。

 8月26日~9月1日の1週間に新型に感染し、入院した患者は87人。うち未成年が64人を占めた。

(2009年9月3日 読売新聞)

心中複雑


この間、じつにいろいろありましてなんとも整理がつかない心模様。

でも、時間が解決してくれる部分もあるかなと思えてきた。

今日の夕方、買物帰りに見た西の空はそんな気持ちに近いかな。

2009年9月24日木曜日

すごいね「核兵器なき世界」への決議

国連安保理で米のオバマが議長になって「核兵器なき世界」の条件作りを目指す決議を全会一致で採択したんだと!

すごいことだね。こんなことブッシュや小泉の時には考えられなかった。

アメリカが変わり、日本が変われば世界が変わる気がしてきたよ。

オバマも鳩山もがんばれ!



「核兵器なき世界」へ決議、安保理全会一致
9月24日23時1分配信 読売新聞

 
【ニューヨーク=吉形祐司】国連安全保障理事会は24日午前(日本時間同日夜)、核不拡散と核軍縮に関する首脳級会合を開き、「核兵器なき世界」の条件作りを目指す決議1887を全会一致で採択した。

 核不拡散体制の徹底と同時に、核軍縮と原子力の平和利用を推進し、将来的には核兵器廃絶を実現しようという歴史的決議となった。

 安保理首脳級会合は、9月の議長国である米国が提案。核廃絶を提唱しているオバマ大統領が、日ごろ安保理の議長となる国連大使に代わって、史上初めて米大統領自ら議長を務めた。大統領は会合の冒頭、「今後12か月間が(NPT体制強化への)成否の分かれ目になる」と発言。さらに、「イランと北朝鮮だけではない」としながらも両国を名指しした上で、国連の全加盟国が核軍縮の責務を負う、と述べた。

 決議は、核拡散防止条約(NPT)未加盟国に非核保有国としての加盟を、すべての国に爆発を伴う核実験の自制を求めた。核実験全面禁止条約(CTBT)の加盟、批准もすべての国に求めており、同条約を批准していない安保理常任理事国の米国、中国は、自ら責務を負うことになった。

 NPT体制の強化により、核不拡散を徹底し、核関連の物資や技術が核開発に野心を持つ国家やテロリストの手に渡るのを阻止することが、決議の当面の狙い。過去の制裁決議などに言及してNPTの順守を加盟国に迫る内容だ。核兵器保有国であり、安保理常任理事国の米英仏露中5か国に対しても、NPTに基づく核軍縮交渉を求めている。

 オバマ大統領は、「核兵器なき世界」実現に向け、国際社会に協力を呼びかけるとともに、NPT体制を揺るがす核兵器開発国家やテロリストへの核関連物資・技術の流出に対しては、断固たる態度を改めて示した。

2009年9月22日火曜日

1000円効果で高速道路が低速道路へ

9月の連休をシルバーウイークというらしいが、人によっては5連休らしい。

休みには誰しもどこかへ行きたくなるようでニュースでは高速道路の渋滞が盛んに報道されている。

今日なんかもあちこちで40Kmだの50Kmだのという渋滞が続出しているらしい。

おもいおこせば1000円で乗り放題になってからというもの、一気に高速道路の渋滞がひどくなった。

民主党はこれをさらに「ただにする」という。

理由は高速道路を使って行き来が盛んになるから地方の活性化につながるということらしい。

でも、1000円でこの状態だから「ただ」になるといったいどんなことになるやら。

きっと車があふれかえって年中渋滞していることになるんじゃないかと心配する。

かえってどこへも簡単にはいけなくなる事態がおこるよ。

もともと高速道路は多少お金がかかっても、早く行けるから意味があった。

時間をお金で買う感覚。飛行機も新幹線も一緒。

渋滞ばかりの高速道路なんてのは実は低速道路となって、脇道なんてのも使えないしむしろ通りたくないよ。

排気ガスは多くなるし、大気汚染に加えて地球温暖化に拍車をかけるしで環境にも良くないね。

さらに言えば、今の休日料金の1000円にしても足りない分は税金から補填している。無料化すればもっと税金の投入がいる。新たな高速道路の建設に回さなくても維持管理費用はどうしたって発生するもの。

最低限の道路の維持管理の費用などを考えればそれこそ利用者負担ということで適当な価格設定ができるのじゃないのかなあ。

今のままだとフェリーはほぼ完全にアウトだし。

これは安ければ良いという問題でないように思うよ。

ちなみに、この連休では私と妻は普段と同じく近くに買物に行くくらいでほとんど車は使ってないなあ。

2009年9月20日日曜日

息子の帰省




今朝、下の息子が帰っていった。

3泊しただけで、それも私とはほとんど昨日一日だけ一緒に過ごした。

もうすぐ誕生日なので妻の実家の祖父母のところへ連れて行って、帰りにイタリアレストランで食事してお祝いをした。

ずいぶんと大人になって、しっかりしてきたよ。

やはり、外へ出すものだね。

でも、帰ってきてくれるのはうれしいけど疲れるんだね。

妻とワンコの三人暮らしに慣れてしまったのか、もとの状態に戻るとほっとしたりして・・。

ワンコも・・な。


2009年9月14日月曜日

母校は建物だらけ


母校で新しく建物が建ち、竣工祝賀会なるものにお呼ばれしたのでとりあえず行ってきた。

新しくてきれいで高機能でと良いことずくめに見えるけど、これだけのお金をつぎ込めばこれくらいのものはできるよなという感じ。

でも個室の差額室料はとっても高い!普通の人はちょっと入れんかも・・。

ともあれ母校が発展するのは喜ばしいことだが、あらためて見回すと敷地の中は建物だらけでなんと殺風景なこと・・。

大学というならもっと余裕が欲しいよな。

長くいると気持ちまで縮んでしまいそう。

2009年9月12日土曜日

油断大敵(?) 内臓脂肪!


今週の初めにあることを調べてもらうために腹部のCT検査を受けた。

心配したようなことはなくてやれやれ。

ついでに、その画像をもとに内臓脂肪測定をしてもらった。

結果は「正常」でほっと一安心。体重はこの一年くらい安定してるし筋トレも続けてるから筋肉は十分ついているので、まあこんなものかな。

その日に家にレポートをもって帰って自慢気に妻に見せておいた。

ところがね、2,3日して妻が「これはだめだよ、太ってるよ。」というわけ。

「そんなはずないよ」って言ったら、去年の4月にも内臓脂肪測定をしててその結果を私のブログに書いてるそうです。

で、見てみたらですね・・。

今回の内臓脂肪面積:80.71 ㎠(前回47.5㎠),皮下脂肪面積:74,11㎠ (前回56.9㎠)で明らかに増えてる!

内臓脂肪面積が「100㎠以下が正常」とは言っても47.5㎠→80.71㎠ですからね。

多いことにはかわりないし、筋肉量は落とさずに体重をあと3-4Kgは落とさないといけませんね。

体重だけで判断せずにきちんと評価をしないとね。まさに油断大敵(?)ですな。



夜明け




早朝、私の住んでいるところは辺りがすっかり明るくなっても太陽はまだ昇らない。

太陽は水平線から昇るのではなく、山の端から昇るのです。

明るくなった空に広がる高い雲。

天頂にうっすらと見える半月。

そして太陽が山の端から顔を出す。

うっかりと見過ごしてしまいそうだけれど、貴重な日常の風景。

2009年9月9日水曜日

民主・社民・国民新3党連立合意

なんとか「民主・社民・国民新3党連立合意」ができましたね。

社民が連立で沈没してしまうのではないかと心配してた。

今回の合意内容を見ると「外交」に関しては「?」としても、「内政」に関してはおおいに「よりまし政権」らしくなったと思う。

きっと社民はがんばったのだろうね。

こうやって国民の大多数にとって、少しずつより良い方向に政治が動いていってくれることを願っています。

実際に実施していくとなるといろいろな問題が起きてくるとは思うけど、とりあえず良い船出かなあ。

それにしても小泉は悪いことしたよなあ。


> 【三党連立政権合意書】

 民主党、社会民主党、国民新党の三党は、第45回衆議院総選挙で国民が示した政権交代の審判を受け、新しい連立政権を樹立することとし、その発足に当たり、次の通り合意した。

 1 三党連立政権は、政権交代という民意に従い、国民の負託に応えることを確認する。

 2 三党は、連立政権樹立に当たり、別紙の政策合意に至ったことを確認する。

 3 調整が必要な政策は、三党党首クラスによる基本政策閣僚委員会において議論し、その結果を閣議に諮り、決していくことを確認する。

 【連立政権樹立に当たっての政策合意】

 国民は今回の総選挙で、新しい政権を求める歴史的審判を下した。その選択は、長きにわたり既得権益構造の上に座り、官僚支配を許してきた自民党政治を根底から転換し、政策を根本から改めることを求めるものである。

 民主党、社会民主党、国民新党は連立政権樹立に当たって、2009年8月14日の「衆議院選挙に当たっての共通政策」を踏まえ、以下の実施に全力を傾注していくことを確認する。

 小泉内閣が主導した競争至上主義の経済政策をはじめとした相次ぐ自公政権の失政によって、国民生活、地域経済は疲弊し、雇用不安が増大し、社会保障・教育のセーフティーネットはほころびを露呈している。

 国民からの負託は、税金のムダづかいを一掃し、国民生活を支援することを通じ、我が国の経済社会の安定と成長を促す政策の実施にある。

 連立政権は、家計に対する支援を最重点と位置づけ、国民の可処分所得を増やし、消費の拡大につなげる。また中小企業、農業など地域を支える経済基盤を強化し、年金・医療・介護など社会保障制度や雇用制度を信頼できる、持続可能な制度へと組み替えていく。さらに地球温暖化対策として、低炭素社会構築のための社会制度の改革、新産業の育成等を進め、雇用の確保を図る。こうした施策を展開することによって、日本経済を内需主導の経済へと転換を図り、安定した経済成長を実現し、国民生活の立て直しを図っていく。(以下省略)

2009年8月31日月曜日

民主党が圧勝

予想通りというか予想以上というか、開票結果は民主党の一人勝ち。

中選挙区制から小選挙区制主体になってから、国政選挙は結局オセロゲームなんだよね。

少数意見は切り捨てられて、白か黒かのいずれかになるしかない。

二大政党制といっても白か黒ならまだしも、いまの実態は白か灰色かだものな。

「白か灰色かのオセロゲーム」の始まりだよ。

たとえば、あの田中真紀子さんが民主党で当選なんだよね。これびっくり。いつの間に民主党になったのかね。

よくみてたら元自民党なんていう民主党議員はほかにもいっぱいいるんだよね。

小沢さんや鳩山さんその人がもともと自民党から別れた人だものね。

鳩山さんは勝利が決まったあとの記者会見で「国民の生活が一番大事」とか「野党も大事にする」とか良さげなことを言っていた。

実際のところ、民主党のなかってそれこそばりばりの右からちょっと左(?)まで「ごたまぜ」状態だからこのまま一つにまとまってすすんでいくのは結構大変かも・・。

いろいろいらぬ心配をしてしまうが、公約の「国民の生活が一番大事」を全うして欲しいですね。

2009年8月30日日曜日

夏の終わり

今朝は曇り空だったけど、吹く風もひやりとしてもう秋の気配。

今夜の当直にそなえてゆっくりするはずだったけど、貧乏性だね。

じっとしているのが苦手で、庭の草むしりのあとで久しぶりに洗車をした。

そよそよと風が吹いて洗車日和だったね。

頭の上で「キィーッ」というような甲高い鳥の鳴き声がして、ふと見上げたら「モズ」

もうこんな季節なんだとあらためて感じていたら、秋の虫の声も聞こえてきて・・。

う〜ん、夏も終わりかあ。

2009年8月29日土曜日

期日前投票

久々の休みになった土曜日。

せっかくだからといつもより1時間遅く起きて、気持ちはちょっとゆっくり。

でも妻がいないので朝から勤勉にワンコの散歩やら、・・やらと結局忙しく午前を過ごした。

昼ご飯を食べたら急に疲れが押し寄せて、しばらくリクライニングチェアーから起き上がれなかった。

こんなときに限って鳴るんだよね、職場からの緊急連絡の電話。

夕方に集まることになって、その前に選挙に行ってくることにした。

明日は夜勤だし、それまでに何があるかわからんものね。

市役所に期日前投票のコーナーがあるので、そこで無事に投票を済ませて一安心。

今回は「政権交代」が争点というか焦点というか、それ一色の選挙みたいだ。

確かに「自公政権」は長くやり過ぎたし、「核の持ち込み容認」など過去の政権のアメリカとの裏取引みたいなことも明らかになってきている。小泉以降の政策はそれこそ「むちゃくちゃ」。何もかもが行き詰まってしまった。小泉は自分のやったことに少しは後ろめたさも感じていそうだが、今でも相方の「竹中」は全然反省ないんだよ。あんな「むちゃくちゃ」な人が大学教授なんてのも信じられないけどね。

明日の選挙できっと「政権交代」は起こるのだろうがその後の運営がうまくいったとしても、それは「よりまし政権」の誕生でしかないと思う。けど、今はそれしか国民の選択肢はないよね。

私は「よりまし政権」がさらに「よりまし」になるように「確かな野党」に投票しましたよ。

明日は当直をしながら開票を見守ることにしましょうか。


2009年8月20日木曜日

稲刈り


早いね〜。

もう稲刈り。

今朝ワンコと散歩してたら稲刈りが済んだばかりの田んぼがあった。

毎日通るのところなので、きっと昨日のうちに済ませたのかな。

毎日忙しくしている間にどんどんと季節が移っていく感じ。

ほんとに一年なんてあっという間だね。

とうとう自分に残された人生についてなどと、つい考えてしまう歳になったよ。

来し方を振り帰ってみてはそれなりに満足はしてるつもりだけど、結構複雑な心境やなあ。

まだまだこれから・・、と思ってがんばろうっと。

2009年8月15日土曜日

平和の危うさ


今夜、NHKの「核」をめぐる討論番組を見た。

司会者の「日本は核武装をすべきか」の問いに、参加者のなかに「核武装をすべきだ」との意見を持つ人が少なからずいるのには正直驚いた。

それも若い人から中年の人までそれなりの年齢層に広がっていた。「平和」を求める私たち日本は当然、「非核」であるべきと思っていただけに驚くと同時に残念な気持ちであった。

しかし、戦後64年が経過してあの日中戦争、太平洋戦争の惨禍とヒロシマ、ナガサキへの原爆投下の被害を経験した人々が年老いて平和の語り部たちが消え去ろうとしている。

今まで、国会での議論も含めて国民レベルでも「平和」について十分な議論をしてこなかったことが今の状況を生み出しているとも感じる。

憲法九条を持ちながら世界でも有数の軍備を持つ「自衛隊」の存在。日米安保条約のもとでその自衛隊を「海外派兵」する政府。「非核三原則」をめぐる日米政府の裏取引の暴露。

理想と現実の隔たりが広がる中で、日本の平和のありようを「あいまい」にしたまま64年が過ぎたということか。

私が知る範囲でも長きにわたって全国でさまざまな「平和の取り組み」が行われてきたはずだが、いずれも「国民的大議論」ということではなかったということか。

終戦記念日のこの日、麻生総理が記念式典で「不戦の誓いを新たにし、世界の恒久平和の確立に向けて積極的に貢献していくことを誓います」と語るとき、そのあきらかな欺瞞は乾いた砂に吸い込まれる一滴の水ほどの意味しかない。

今からでも遅くはない。むしろ今だからこそ国をあげて大いに議論すべきだろう。

どうすれば日本の平和が守られるのか。

アジアと世界の平和のために日本は何を為すべきなのか、なにができるのかと。

ただ心配なのはこの国の人々は議論することになれていないことだ。議論の進めかたや場の設定に相当な工夫が必要だろう。そうだとしてもできるところから始めるしかないのかもしれないが・・。

2009年8月9日日曜日

No War. No Nuclear Weapon.



64年前の今朝、6日の広島に続いて長崎に原爆が投下された。

この爆発で一瞬にして7万4千人あまりの命が失われたという。

数年前に長崎に行く機会があったが、原爆資料館では広島のそれとまったく重なって見えた。

長崎市の地形をみれば、あんなところに原子爆弾を落とすことがどんなにひどい結果をもたらすかわかろうというものだ。

あれはジェノサイド以外の何ものでもない。

何人も正当化しえない行為だ。

悲しいことに唯一の被爆国の日本にもいまだに戦争をしたいと思う人たちがいる。

平和憲法を変えて戦争ができる国にしようという政治家さえいる。

これだけ世界中で戦争が起こり、メディアで簡単に戦争の悲惨さを目の当たりにできる時代にその悲惨さに目をむけようとしない政治家たちがいる。

彼らにこの国の未来を託してはいけない。

この地上から戦争がなくなりますように。そして、すべての核兵器が廃絶されますようにと願わずにはいられない。

No War. No Nuclear Weapon.

2009年8月7日金曜日

弥生の遺跡が地面の下に


きっと弥生遺跡の調査が終わったのでしょうね。

せっかくの遺跡が全部土の下に隠れてしまいました。

でも、今まで千数百年の時を経て遺跡が保存されているのは、こうやって土の下に埋もれていたからだろうね。

この上に建物が建てばもう二度と見ることはないのだけれど、ここに遺跡があることは記録されたのでそれでいいのかもしれないね。

あちこちにあるわけだから露出しての保存はあり得ないし、土地を利用しないで永久保存も難しいしね。

でも、こうやって一旦見てしまうと埋めもどすのはなんかもったいないような気がするのは私だけかなあ。


2009年8月6日木曜日

トンボの幼虫のヤゴがいた

今朝、三回目にしてやっとヤゴの撮影ができました。

過去2回はカメラを持ってなくて、せっかくのチャンスを逃がしました。

目玉もはっきりとして大きなヤゴだったのに残念。

今朝のは小さくて保護色が強くて初めはよくわからなかったけど、結構すばしっこく動いてくれたのではっきり見えましたよ。

基本的には肉食なので動きは速いはずですが。

このあたりはトンボも多く飛んでいるのでこんな生き物の姿もみられます。


さて、今朝は広島の原爆投下のあった日。

テレビで平和式典を観ながら8時15分には妻と一緒に黙とうを捧げました。

広島市長の挨拶もよかったし、小学生の平和の誓いもよかった。

やっぱり平和なのがいいなあ。



2009年8月1日土曜日

セミのなる木



このところやたらと忙しくて、家に帰るのが夜の10時や11時くらいは当たり前。

妻も研修会がずっと続いています。

だから朝起きて、散歩に行って仕事に行くだけで精いっぱい。

今朝は少しだけ時間があるので、ひさびさにゆっくりしてます。

で、散歩から帰ってワンコのいる隣の枇杷の木の幹にセミの抜け殻一つ見つけた。

写真にとって、ふと見上げたらセミが(抜け殻だけど)鈴なり!

裏庭は畑はつくったものの雑草を生やし、ただひらすら落ち葉などで腐葉土をためてきたのが良かったのでしょうね。地面の下はセミの幼虫だらけかもね。




2009年7月26日日曜日

ソファーの隙間に落ちていたもの


今日、新しいリクライニングチェアーが届いたので古いソファーを引き取ってもらった。

手放す前に念のため背もたれと座面の間の隙間を探ったら、出てきましたよお宝!

18年の間に溜まったゴミも多かったけど、無くした家の玄関の鍵とかね・・。

でも思いでのいっぱい詰まったソファーが無くなると、その思い出まで無くなってしまいそうな気がしたよ。(妻はもっとつらそうな・・)

そういえば2年前に車を乗り換えたときもそうだったっけ。ぼろぼろになってはいたけれど、丸12年の間に子供たちと一番いいときを共に過ごした車だったからね。

大きなものはいつまでもとっておくことはできないし、楽しかった時のことは心の中にしまっておくのがよいのかもなあ。

2009年7月25日土曜日

稲穂

  実るほど頭を垂れる稲穂かな



早いものだね。もうこんなに実がついたよ。

日々成長。

2009年7月24日金曜日

断酒 一周年!

     退院したら飲もうと思って残しておいた飲みかけのワイン


丁度一年前の今日、お酒を飲むのを止めた。

その時はたんに手術を受けるので当日は飲まないでいただけだった。

しばらく飲めないと思って、前日はビールにワインを一本半としこたま飲んでいたくらい。

でもその手術がきっかけで、ぴたっと止めて一年が経った。周囲にはあんまり信じてくれる人はいないけど全く飲んでいないよ。

今いる部屋の中にもお酒はいろいろあるし、いくつかの飲み会にもでたけれどウーロン茶ですませたし全くお酒を飲もうとは思わない。

以前は毎日お酒を飲むのが当たり前に思っていたけれど、これだけ時が経つと「飲んでないのが当たり前」の感覚。酔っていないのも身体にはとても良い感じがする。

今の季節だとビールがおいしいかなと想像するだけで、飲む気が起きないのは不思議といえば不思議だね。

もともと依怙地な性格だからかなあ。いつまで続くか試してみるのもおもしろい・・。

2009年7月22日水曜日

せっかくの日食は曇り空



午前は残念ながら仕事。もっとも朝から曇りで期待薄。

11時半頃、やっと手が空いたので外へ出てみたが厚い曇で太陽が見えない・・!

それでもあきらめきれずに12時10分頃に外に出たら、うす雲を通して太陽がみえた!

がんばってデジカメのレンズに黒いフィルムをかぶせて写真撮ったら、ポチッと欠けた太陽が写ってました。(画面の左下:拡大しないとわかりません・・)

まあ、これでよしとしよう。

もうこのあたりでは生きてる間には見えないかもなあ。

2009年7月20日月曜日

休日の遠出はやっぱり高速道路かな


本来なら「久々の休み」の今日は家でごろごろしているつもりでした。

自分で言うのも変ですが、このところ働きすぎでしたからね。

(コンサートに行ったのはまた別だけど・・。)

でも、どうしても早めに解決しておかなくてはならないことがあって今朝早く自家用車で京都へ行ってきました。

早く出たせいか行きはすいすいと混むこともなく、帰りも阪神高速の上り車線の「大渋滞」を横目にすいすいと帰ってきました。疲れもあったので無事に帰ってこれてやれやれです。

かかった費用はいくつかの高速を乗り継ぐので、往復で高速の料金が5000円くらいかな。ガソリン代が3500円だったので、二人分の京都への往復旅費がしめて8500円。

これって安いよね。ちなみに私の車の燃費はカタログデータは12.8km/Lだけれど、今回は高速道路が主体だったので14.5km/Lでしたよ。ただし平均時速は80-90km/hですけどね。

何度か大阪、京都方面へでかけて気付いたことは「休日は上りは朝早く、下りは夕方以降に走る」のがラッシュを避けるコツのようですよ。