今夜、NHKの「核」をめぐる討論番組を見た。
司会者の「日本は核武装をすべきか」の問いに、参加者のなかに「核武装をすべきだ」との意見を持つ人が少なからずいるのには正直驚いた。
それも若い人から中年の人までそれなりの年齢層に広がっていた。「平和」を求める私たち日本は当然、「非核」であるべきと思っていただけに驚くと同時に残念な気持ちであった。
しかし、戦後64年が経過してあの日中戦争、太平洋戦争の惨禍とヒロシマ、ナガサキへの原爆投下の被害を経験した人々が年老いて平和の語り部たちが消え去ろうとしている。
今まで、国会での議論も含めて国民レベルでも「平和」について十分な議論をしてこなかったことが今の状況を生み出しているとも感じる。
憲法九条を持ちながら世界でも有数の軍備を持つ「自衛隊」の存在。日米安保条約のもとでその自衛隊を「海外派兵」する政府。「非核三原則」をめぐる日米政府の裏取引の暴露。
理想と現実の隔たりが広がる中で、日本の平和のありようを「あいまい」にしたまま64年が過ぎたということか。
私が知る範囲でも長きにわたって全国でさまざまな「平和の取り組み」が行われてきたはずだが、いずれも「国民的大議論」ということではなかったということか。
終戦記念日のこの日、麻生総理が記念式典で「不戦の誓いを新たにし、世界の恒久平和の確立に向けて積極的に貢献していくことを誓います」と語るとき、そのあきらかな欺瞞は乾いた砂に吸い込まれる一滴の水ほどの意味しかない。
今からでも遅くはない。むしろ今だからこそ国をあげて大いに議論すべきだろう。
どうすれば日本の平和が守られるのか。
アジアと世界の平和のために日本は何を為すべきなのか、なにができるのかと。
ただ心配なのはこの国の人々は議論することになれていないことだ。議論の進めかたや場の設定に相当な工夫が必要だろう。そうだとしてもできるところから始めるしかないのかもしれないが・・。
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