2011年3月29日火曜日

宮城への医療支援・第2陣の報告会





本日午後、宮城への医療支援の第2陣の報告会が開かれました。

参加職員は一回目の半数くらいだったけれど、県会議員さんも来られて熱心にメモを取っておられましたよ。

歯科の先生も行っていたこともあり、新たな視点で今後の支援のあり方が見直されて行くと思います。

今、職員には4−5月の宮城への支援者をエントリー制で募集をしています。

医局からは続々と希望者が増えていて、二人の女医さんも含めて第4陣以降で6名もいます。

実のところこちらも日常診療だけでも大変な日々を送っているのですが、被災地でがんばっている仲間や被災者さん達のことを思う気持ちがうれしいですね。




2011年3月25日金曜日

宮城への医療支援継続中


昨夜、医療支援の第2陣が無事帰ってきました。

昼休みに簡単に報告を聞いたら、避難所に多くの人は残っているものの食事は何とか3度とれているそうです。水も暖房も入っていて最低限の条件は整ったらしいです。

ただ、インフルエンザや嘔吐下痢などの感染症が広がっているそうです。また、今回は歯科医師も入ったのですが口腔衛生が最悪の状態でお年寄りの肺炎の原因の一つにもなっているのではないかとのことでした。

長期になればなるほどストレスもたまるでしょうし、県の方でも精神科の支援なども検討されているようで知人が近々派遣されるとの情報も入ってきました。

私の病院も本日第3陣を送りだしたところです。

引き続きさまざまな支援が必要ですね。

2011年3月20日日曜日

昨夜、宮城県塩釜の医療支援から帰ってきました




15日早朝に出発して福島原発事故の動向を見極めながら高速道路をひた走り、17時間かけて宮城県塩釜市の坂総合病院に到着しました。

仙台東ICを降りると明かりがほとんどなく壊れた家屋と車が道の両側に放置され、地震と津波被害のあまりのひどさに息を飲みました。ニュースでは断片的に観ていたものの街灯や信号機の点いていない廃虚とも言える街の惨状は想像を超えたものでした。

坂総合病院は比較的高台にあり、耐震構造の新築病院だったのが幸いしてほとんど無傷でした。震災後から殺到する患者さんの対応に、被災者でもある職員と支援者達が24時間態勢でがんばっていましたよ。

私たちはとりあえず宿泊場所に案内され持参した寝袋で仮眠をとりました。
翌朝から医師、看護師、事務にそれぞれの仕事が割り振られ支援活動開始です。

私は病院内で日中、夜間ともに救急外来を担当して次々と運ばれてくる患者さんを診ていました。発生後5日も経過するとやって来る患者さん達の多くは通常見かける疾患が主になっていました。
ただ劣悪な環境の避難所や何とか住める程度に残った家屋に住んでいるため暖房がなく、水や食料も十分に行き渡っていないようで治療が終わってもまたそこへ帰っていかなくてはならないことに対する不安を隠せない様子でした。

医療支援はもちろん大切ですが、この被災地の方々のもとに一刻も早く暖かい住まいと食料が与えられるようになることを願わずにはいられませんでした。そのためにも国や自治体がもっと迅速に強力に動いて欲しいと思います。

実働は三日間でしたが、毎日の様に全国各地の病医院から続々と支援に訪れる仲間達を頼もしく感じながら昨日は14時間かけて夜遅く帰ってきました。

今は無事に帰り着いたことにほっとしていますが、心中は複雑で整理がつきかねています。
私たちが彼らのためにしてあげられることは他に何があるだろうか・・と。

今朝、医療支援の第2陣が現地に向けて出発しました。とりあえずは今できることを続けていくつもりです。


2011年3月14日月曜日

明日は宮城の塩釜まで医療支援に行きます

日が経つに連れて地震と津波で受けた被害の大きさに驚く日々。

同じ系列の被災地の病院からの支援要請に応えて私たちも医療支援に向かうことになった。

第一陣は医師と看護師各1名、事務2名の少人数編成だが、中小病院の私たちとしてはこれが限度。私は立場上、一番乗りです。

福島の原発事故や頻発する余震など不安な要素はいっぱいあるけれど、現地でがんばっている仲間のことを思うとやはり行かなければと思います。

とりあえず5日間ですが、支援もしながら後に続く人たちのためにも情報を集めて来たいですね。

無事に帰ってこれますように・・。