2010年12月18日土曜日

映画「ロビン・フッド」を観てきた

久々に娘と二人で映画館で「ロビン・フッド」を観てきました。

2時間半くらいあって結構長いわりに眠気も来ず、飽きさせない作りで観応えもありました。

この映画は一応観る価値ありですね。

ただ気になったのは12月10日封切りで昨日まで一日4回の上映だったはずなのに、今日から夕方と夜の2回だけの上映です・・。

100席くらいしかない会場で半分も埋まってなかったからこんな扱いなのかなあ。

何とかライダーやらかんやらのお子様映画はしっかり上映回数も会場も押さえられてるのに。

まあ、内容が良くても儲からないとすっぱり切ってしまうわけですね。

DVDばかり観ずに映画館へも行かんとね・・。

2010年11月29日月曜日

残念だよ、沖縄県知事選挙

伊波さん、おしかったね。

終盤で今回は勝てるかもと言われていたし、私の知人達もカンパを募って沖縄まで応援に行ったよ。

私はカンパをしただけだけど応援してましたよ。

選挙には負けても相手陣営を「沖縄以外」といわせるまで追いつめたのは成果といえるかも・・。

基地問題の決着はまだまだ、これからだよ。


沖縄知事に仲井真氏が再選 普天間移設先「沖縄にはない」
2010/11/28 22:41 日経Web版

 任期満了に伴う沖縄県知事選は28日投開票され、自民党県連の支援を受けた無所属現職の仲井真弘多氏(71)=公明、みんな推薦=が、無所属新人の前宜野湾市長、伊波洋一氏(58)=共産、社民、国民新、新党日本、沖縄社会大衆推薦=ら2氏を破り、再選を果たした。政府は米軍普天間基地移設問題を巡り対話継続を探るが、仲井真氏は県外移設要求に転じており、名護市辺野古への移設は困難な状況が続く。

 投票率は60.88%で、前回を3.66ポイント下回った。

 仲井真氏は28日夜、普天間基地の移設先について「沖縄に移設先はない。日本全国で移設先を探してほしい」と述べた。

 同知事選は民主党政権を揺るがしてきた普天間移設問題に大きな影響を与えることから、政府、与野党の関心も高かった。民主党は日米合意の履行を重視する党本部と県外移設を主張する同県選出議員らの間で対応が定まらず、自主投票になった。

 仲井真氏は自公政権時代、辺野古移設を条件付きで認めていたが、1月の名護市長選で反対派市長が誕生したことなどから、9月末に県外移設要求の姿勢に転じた。一貫して国外移設を主張してきた伊波氏は及ばなかった。

 政府は対話を否定しない仲井真氏の再選で協議の継続に期待をかける。菅直人首相は知事選後の沖縄訪問を検討しており、政府は基地負担の軽減などを示して地元の理解を得たい考えだ。

 ただ、県外移設要求を掲げて再選を果たした仲井真氏が来春までに再び容認に転じる見込みは薄い。移設先とされた名護市の稲嶺進市長は「海にも陸にも基地は造らせない」と断固反対の立場で、前進が期待できる状況ではない。首相は13日のオバマ米大統領との首脳会談で、来年春にも米国を訪問して共同声明を出すことで合意したが、基地問題の調整の行方次第では訪米の足かせになりかねない。

2010年11月8日月曜日

イタリアを発つ日はどしゃ降り



今、朝6時過ぎ。8時にホテルを出て空港に向かいます。

外は雨がざあざあ降ってます。

こんな日があと何日か続くようです。

一週間予定がずれてたら大変なことになってましたね。

ほんとに運が良かったよ。

楽しかったイタリア。

チャオ!

イタリア旅行の最終日は雨




今日は朝から曇り空。

週間天気予報は金曜日くらいから崩れて雨のはずが、なんと日曜日の昼まで持ちました。

帰りの明日の飛行機のインターネット・チェックインなどをしていたら出かけるのが遅くなってしまいましたよ。

ルーテル派教会の礼拝に出る予定だったのに、着いたらちょうど礼拝が終わったところ。

でも、礼拝後のお茶に誘ってくれて牧師や他の方々とお茶でなく、ワイン(!)を飲みながら歓談することができました。皆さんとの記念写真もばっちり撮ってきましたよ。

その後は雨降りにあったのとワインの酔いもあって動くのも億劫。2回もお茶をしてプチケーキなどをいただきながらゆっくりした時間を過ごしました。結局歩き通して最後の一日が終わりましたが、今日を除いて天気にも恵まれてとても充実した旅行を楽しめたので大満足。

あんまり予定を決めないでその日その日の気分であちこち見て回るのも気楽でいいね。





2010年11月7日日曜日

やっとフィレンツェの市内観光へ




早いもので今回のイタリア旅行も後2日を残すだけになりました。

2日間はできるだけゆっくりとしようということで、やっと市内観光に。

昨年来たときには主だった観光名所は経験していたので、残っていたDuomoへ。

内部のら旋状の階段を息を切らしながら昇って展望台へ出たらフィレンツェ市内をを360度見渡せます。

暮れ行く夕日を浴びながら次第に街に明かりがともり行く様をたっぷりと楽しむことができました。

夕食は昨年も一番おいしかったレストランで初めてのTボーンステーキを食べました。日本のそれとは違うけどとてもおいしかったよ。

明日も礼拝に出たあとは、お土産を買い足したりしながらゆっくり過ごします。

2010年11月6日土曜日

今日はVINCI






今朝は疲れもあってとくにゆっくりの出発になりました。

どこに行くかでいろいろ迷ったけれど、今日も快晴だったので田舎を歩こうということで意見が一致。

で、かのレオナルド・ダ・ビンチの生家があるVINCIに行くことにしました。

フィレンツェから鉄道でEMPOLIまで行き、バスに乗りかえてVINCIに午後2時頃に到着。

とにかく田舎。どのつく田舎でしたよ。ビンチ村ね。

そこに13世紀の城を利用したレオナルド博物館というのがあって、彼の設計図をもとに作ったさまざまな機械の模型などが展示してあってその天才ぶりを垣間見ることができます。

ここから徒歩で約3km 程ですが、オリーブ畑の中の道路を歩いて丘に登れば、レオナルドの生家のあるアンキアーノ村(Anchiano)に着きます。曲がりくねった道を歩くのですが、なかなか行き着来ません。不安になって途中で何度かオリーブの実を収穫しているおじさん達にこの道でOKかと聞きながら歩いていきました。

オリーブ畑に囲まれた夕方の山道を歩くと空気も景色も空も溶け合ってなんとも言えず清々しい雰囲気でしたよ。

何でイタリアくんだりまできて田舎の山登りをするかいとは言わないでおきましょうね。

今回の旅のなかで最高の良い気分でしたからね。

レオナルドの生家も石造りのそれなりのお家で、博物館を見たあとだけにここで生まれて育ったのかと思うとなんとも不思議な気分。

お勧めです、VINCI。


2010年11月5日金曜日

今日はピサ(Pisa)とルッカ(Lucca)へ




今日も朝から鉄道を使ってフィレンツェを離れてまずはトスカーナの西のPisaへ向って出発。

1時間半ほどの距離ですが、車窓の風景はシエナへのそれと微妙に違っていて興味深いものがありました。

Pisaの駅からは歩いて30分ほどのところにかの有名な斜塔があります。なるほど傾いているなあと言うのが感想。むしろ興味深かったのは洗礼堂の方で、この音響空間が素晴らしいとガイドブックに書いてありました。ちょうど私たちが入ったときに職員の方が素晴らしい声を堂内へ響かせてくれてとてもGoodでしたよ。
あとはほとんど見るべきものはなくて駅まで戻って次なる目的地へ向かいましたが、歩くとその土地の様子がよくわかってよいですね。

Luccaについたら夕方に近くなってしまったのですが、これもタイミング良くて夕日に染まった城壁の上の並木が程よく紅葉していてとても良い雰囲気でした。ここの教会はどれもとてもよく手入れされているのとフィリッピーノ・リッピの絵があったり、立派な絵画がたくさん残されているのに驚きました。ここの街の人たちは信仰心が篤いということなのかなあ。
この街の散策は心が癒される思いでしたよ。

今日もたくさん歩いてお疲れさん。








2010年11月4日木曜日

本日はシエナ(Siena)




今日は楽しさ半分、悔しさ(?)半分の一日でした。まあ、楽しかったのだけれどね。

で、今朝はゆっくりと支度してフィレンツェの西南にあるシエナに行くことにして10時頃にホテルを出発。初めての路線バス乗車にも挑戦。中央駅に着いたときにその「悔しい」ことは起こったのだけれど気を取り直して、go!

まずいことにガイドブックをホテルに置いたまま来てしまったことに気がつきましたが、「何とかなるよ」と今日も強気の妻の言葉に押されて行ってしまいました。

鉄道で約1時間半でシエナに到着。駅で英語のガイドブックと簡単な地図を買ってバスに乗ったのはいいけれど降りるところを間違えて、あとのバスに乗りかえたりしてやっとこさ中心部に到着。今回は妻が道を尋ねる役目をしてくれましたよ。二人で地図を片手にCampo広場やDoumoを見て回りましたが、古い町並みや夕暮れの美しい景色を見ることができて berry good。

さんざん苦労はしましたが、片言英語でも「何とかなるよ」と思った一日でした。

2010年11月3日水曜日

Cascine広場の青空市とインプルネーター(impruneta)





今朝は毎週火曜日に開かれるというフィレンツェのCascine広場での青空市に行きました。

公園の中の道路の両側に、たぶん数百mにわたって天幕を張った店がずらりと並んでいて人出も多くてとてもにぎやか。

お店の品々を見ていくだけでも疲れてしまって、最後の200mくらいを残して買い物をしながら引き返しましたよ。

私たちの買ったものはミカン、焼き栗、焼き豚のパニーニとニンニク絞り器といった小物が少々。

アルノ川のほとりのベンチに腰掛けて昼食にパニーニを食べたけど、これがまたおいしいうえにボリューム満点。焼き栗も素朴な味でおいしかったし、ミカンも香りがよくてね。

この頃になると天気も良くなってあたりの景色も見とれるほどにきれいでしたよ。

午後はゆっくりと過ごすつもりだったのに、妻が急にフィレンツェの南西にあるインプルネーター(Impruneta)に行ってホテルのレストランで夕食を食べて来ようと言い出したのでさあ大変。

もともとは土曜日にインプルネーターに朝市が立つから、それに行って食事をして帰ってこようかと言うことで地図も用意してたけどホテルにおいたまま。

バスの時刻表も乗り場もわからないままに中央駅に行って初めのバスターミナルで聞くと別の会社が扱っているらしくてそれを探すのが一苦労。

片言英語で聞いて回ってやっとこさチケットを手にして40分ほどかけて行きましたよ、インプルネーター。言い出したらきかないからなあ・・。

農村地帯の中にできた比較的新しい小さな街で、周囲はオリーブ畑などが広がるのんびりしたところでした。その景色だけは最高によかったけれど肝心のレストランは客が少なくて経営不振とかでレストランは閉じてましたよ。結局滞在30分ほどでとんぼ返りとなりました。

まだまだ書くことはあるけれど、結論は「疲れたー」でした。

でも、よかったよ。



2010年11月2日火曜日

やっとフィレンツェに到着



先ほど、とうとうイタリア・フィレンツェのホテルに無事チェックイン。

11月1日の朝6時のリムジンバスに乗り込んで関西国際空港へ行き、イタリアへ向けて空港を発ったのが午前11時。

一回乗り継いでフィレンツェの空港に着いたのが日本時間で2日の朝6時過ぎ(現地時間では22時過ぎ)。

今回はアムステルダムでの乗り継ぎに4時間ほどかかったのでトータル24時間の旅!

なんと長かったこと・・。

アムステルダムからの乗り継ぎ便の窓からフィレンツェの街の灯が見えたときには、やっぱりきれいやなあと素直に感激。

でも、ほんとに疲れましたよ。

いろいろあったし、前日は2時間程しか眠ってなかったからくたくたです。

フィレンツェには7泊するのですが、はっきりした予定は決めてはないので明日の朝に妻と相談しながら動きますね。

少し休んでからシャワーを浴びて・・、とりあえず寝ます!

2010年10月27日水曜日

11月1日はミラクル フライト?


実は一昨日あたりから台風14号の動きが気になっている。

ここからはまだ遠いし、普段だとほとんど気にも留めない台風。

というのも台風だろうが地震だろうが動ける状態なら、出勤しなければいけない職場に勤めているからです。

でも今回だけは特別。

11月1日に関西空港からイタリアに向けて出発の予定なんですよ、妻と二人でね。

仕事の合間をぬってどうにか休みがとれて昨年より一週間早めの旅行なんだけど、まさかの大型台風接近!

この様子だと31日あたりに「直撃」するコースに見えるので、運が良ければ1日には通り過ぎて飛び立てるかも・・。

ここへ来てキャンセルはいたいなあ。

無事とおりすぎて、私たちにとっての[miracle flight]になればよいけど。




2010年10月17日日曜日

「たこフェリー」の船がいなくなった

9月の初めに廃止の打診があったばかりの「たこフェリー」だが、とうとう船体が売りに出されたんだね。

残念だがここからはたびたび乗りに行くわけにもいかないしなあ。

それにしてもタイに売られていったなんてね・・。

でも、向こうではきっと大活躍するんだよ!

(元気でな・・)


たこフェリー永遠なれ タイに売却、年内に運航停止 高速道割引響く
2010.10.15 13:37 産経ニュース

 “たこフェリー”の愛称で知られる「明石淡路フェリー」(兵庫県明石市)の船舶「あさしお丸」が、タイのフェリー会社に売却され、明石のシンボル、タコが描かれた船体が15日、新天地のタイに向けて明石港(同市)を出発した。
 明石港と岩屋港(同県淡路市)を結ぶ同フェリーは高速道路の大幅割引が直撃し、3年前と比べて運航収益が半分以下に落ち込むなど経営悪化が深刻化。所有する船舶2隻を1隻に減らし、9月21日からは運航便数を従来の約6割にするダイヤに変更していた。残る1隻も、年内にも運航停止するという。
 あさしお丸は今月3日、たこフェリーとして最後の運航を終えて引退し、タイのフェリー会社に売却された。
 明石港では、地元で親しまれた船体が岸から離れると、市民らが「ありがとう」「さようなら」と別れを惜しんでいた。近所の主婦、染田和子さん(64)は「明石市民にとって特別な船なのでさびしい」と話した。

2010年9月26日日曜日

行ってきましたよ、剣山





最近は公私共に忙しすぎてストレスいっぱい・・。

私は昨夜も夜遅くまで「打ち上げ」だったけど、今朝は思い切って妻と剣山に出かけました。

実は去年はこれまた忙しくて行けなかったので二年ぶりの剣山です。

せめて10時に出ようと思っていたけど準備に手間取り、結局11時過ぎに出発。

見の越しに到着したのが1時過ぎなので片道2時間ですね。

いつものようにリフトに乗って西島駅へ。

ここからやっと山登り開始。

今回は二人ともお疲れモードなので頂上へは向かわず「刀掛の松」から「行場」方面へ。

花や草木を愛でながら「鶴の舞」で遅めの食事。

山で食べるおにぎりもコーヒーも格別においしい!

一の森がはるかに望めましたが、天候が下り坂なのと時間的にも無理なのでお花畑へも行かずにここから引き返しました。

残念ながら紅葉はまだまだで、少し色づいてきたかなという程度でした。

でも、すがすがしい山の空気をいっぱいに吸い込んで二人して元気になって帰ってきました。

また行きたいね。

2010年9月24日金曜日

やったね、イチロー! 10年連続200安打 

イチローがとうとうやりましたよ。

大リーグで10年連続200安打だからね。

なかなかできないことだが、彼ならこれも通過点にして11年でも12年でもできそうな気がする


このニュースは元気が出るね。


イチローが200安打達成 10年連続に記録更新 '10/9/24

 【トロント共同=小西慶三】中国新聞

米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(36)=本名鈴木一朗
すずき・いちろう
=は23日、カナダ・トロントのロジャーズ・センターで行われたブルージェイズ戦で、大リーグにデビューした2001年から10年連続でのシーズン200安打を達成した。

 自らが昨季、成し遂げた9年連続の大リーグ記録を更新するとともに、達成回数でピート・ローズ(レッズなど)の持つ最多記録「10」に並んだ。ア・リーグ最多記録のタイ・カッブ(タイガースなど)の9度は更新した。

 この日まで全151試合に出場し、200安打まであと2本としていたイチローは、三回に左翼線へ二塁打。五回にライナーで中前打を放って大台に乗せた。

 イチローは昨季、ウィリー・キーラー(オリオールズなど)が1894年から1901年に記録した8年連続を抜き、108年ぶりに連続200安打の新記録を樹立した。今季は152試合目での200安打で、160試合を要した05年に次ぎ、02、03年と並ぶ遅めの到達となった。

 プロ野球オリックスから移籍したイチローは01年に242安打で新人のシーズン最多安打、04年には262安打のシーズン最多安打を達成。昨季は日本選手初のメジャー2千安打に到達し、今季は9月18日に日米通算で3500安打を超えた。

 通算4256安打の大リーグ記録を持つローズは、メジャー17年目に38歳で10度目を達成。レッズの監督だった89年に野球賭博への関与で永久追放処分を受けた。




10年連続200安打を達成、ファンの拍手に応えるイチロー(共同)

<ブルージェイズ1-0マリナーズ>◇23日(日本時間24日)◇ロジャーズセンター

 10年連続200安打を達成したマリナーズ・イチロー外野手(36)はクラブハウス内で、いつもの試合後と同じように自分のロッカーの前で取材に応じた。淡々とここまでの歩みを振り返った。

 -記録達成

 イチロー チームメートがみんな祝福してくれて、あっ、喜んでいいんだなと思った。2年前のこと(一部地元メディアの批判的な報道)がトラウマ(心的外傷)になってるから。ちょっとほっとした。

 -達成感はあるか

 イチロー あるある。ただ、表現しづらいというだけ。

 -今季は目標ではないと言ってきた

 イチロー 2年前は目標にすることすら否定されて、今度は目標としていないのになんか変な感じですよね。

 -200安打10度でローズに並んだ

 イチロー ぜひ超えてあげたいですね。

 -200安打への思いは変わらないか

 イチロー 簡単じゃないことは僕が一番知っている。それなりの思いがある。

 -10年の重みは

 イチロー 1年目のスプリングトレーニングで「彼からヒットを打てると思いますか」という質問が飛んできた。いまはヒットが出ないと「何で出ないのか」という質問に変わった。そういう状況をつくれたのはすごく良かった。周りを変化させられたことに対してはちょっとした気持ち良さがある。

 -投手有利と言われる今季も記録を伸ばした

 イチロー 僕の中にオプション(選択肢)があるのは武器になる。対応の引き出しが幅を生む。それがないと新しいものが現れたら対応は難しい。

 -ここまでの道のりの苦しさについて

 イチロー すごく苦しい。純粋にプレーだけさせてもらったらそんなにしんどくない。楽ではないけどね。

2010年9月3日金曜日

明石海峡「たこフェリー」廃止打診


これはとても残念なニュース。

タコフェリーに乗ったのは一度だけだけど結構楽しかった。

学生や近くの人の交通手段としてもりっぱに役割を果たしていたのにね。

明石側のおいしい海鮮丼も食べれなくなるのかなあ。


明石海峡「たこフェリー」廃止打診 高速道無料化で再建困難

2010.9.3 11:51 産経ニュース

 兵庫県明石市と淡路島を結び、「たこフェリー」の愛称で知られる「明石淡路フェリー」について、同市は3日、親会社である「ツネイシホールディングス」(広島県福山市)から、航路の廃止と会社清算を打診されたことを明らかにした。高速道路の料金値下げの影響などで同フェリーの経営は苦しく、保有していた1隻を売却するなど、経営状態の改善に努めていた。
 明石市の北口寛人市長はこの日会見を開き、「(親会社の意向を)撤回させることや、新たな出資者探しは現実的に難しく、並行してフェリーを運航する別の民間企業に働きかけて統合の道を探りたい」と話した。
 同フェリーは、明石海峡大橋の開通に伴って廃業した明石フェリーの後を継ぐ形で、明石市や淡路島内の自治体と、甲子園高速フェリー(現在はツネイシ社と合併)が出資して平成12年に設立された第三セクター。

空が高い



今年は毎日暑くてバテバテ。

それでも、ようやく朝の散歩では涼しさを感じるようになった。

田んぼの稲刈りはほぼ終わっていてさっぱりしてる。

空を見上げるといつもより空が高い!

おまけにうっすらと半月が見えました。

はやくもっと秋になれ。

2010年8月22日日曜日

カラスの稲刈り


実は昨日発見したのだが、ここらのカラスは稲穂を食べる!

朝、ワンコとの散歩を終えてふと家の近くの道端を見るとカラスがなにやら集まっている。

じっと見てると稲穂をくわえてちぎっては食べているのがわかった。

雀のように稲の上には留まれないので、道端で垂れた稲穂をついばんでいたわけ。

何しろ脱穀もしていないままだから、カラスにとっては決して「おいしい」食べ物ではないだろう。でも雑食のカラスだからあり得ないことではないが、見かけたのは今回が初めてだ。

猛暑で残飯も腐るだろうし他の食べ物も不足しているのかもしれないが、なんとたくましいこと・・。

2010年8月18日水曜日

稲刈り


今朝のワンコとの散歩道。

何かが違っていて、おやっと思ったら稲刈りがしてあった。

お盆過ぎたらもう稲刈り。

早いよなあ。

日中は相変わらず暑いけど、早朝の風は少しだけ秋の気配がしました。

2010年8月15日日曜日

65回目の終戦記念日

8月に原爆が二発落ちたあとはすぐさま終戦に。

原爆が落される前に降伏していればよかったのに。

もっといえば、沖縄戦なぞしないうちに降伏していればよかったのに・・。

私の父親は‘95年に74歳で亡くなったが、終戦の時は兵隊として満州にいてソ連軍の捕虜となった。

幸いにもシベリア送りにはならず、中央アジアのタシケントというところへ送られた。

とはいっても捕虜として重労働に駆り出されたのは言うまでもない。

結構過酷な扱いを受けたと時折話してくれた。

思い起こせば私に話してくれた従軍中のエピソードはいくつか覚えているのだが、不思議と戦闘のことは一切話してはくれなかった。

軍のトラックを無免許で運転(あたりまえか)して壊してしまったとか、タシケントに抑留中にロシア語を覚えて最後は通訳的な仕事もしていたとか、収容所内での武勇伝(?)などは懐かしげに話していた。

何でも砲兵隊にいたとかで直接的には敵兵を殺す場面には遭遇しなかったとも聞いた。でも子どもには言えなかっただけでそれなりのつらい体験はしてきたのかもしれない。

私が大人になったときには私自身が忙しくて彼の戦争体験を同じ年ごろの人間として聞くことはなかった。

今になって聞いておけばよかったと思ったり、もしも彼が残虐な行為を直接的にしていたなら
やっぱりそんなことは聞かないほうがよかったと思うのか・・。

しかし志願兵として数年間をあの日本軍で過ごした経験を当事者からもっと聞いておくべきだったと今になって改めて思う。

あの悲惨な戦争を風化させないためにもきちんと聞いて、次の世代へ語り継ぐべきだったよなあ。

天国の父さん、どう思います?




2010年8月11日水曜日

新型インフルエンザ大流行終息宣言

新型インフルエンザの大流行終息宣言がやっとでたそうな。

思えば昨年のゴールデンウイーク頃から大変な目に遭いましたよ。

院内感染でアウトブレイクしたらどうしようかと日々戦々恐々として対策をしてきましたもんね。

私の勤務先では職員はいまだにマスクをして診察してますよ。

去年は夏も流行してましたからね。

大流行は終わったけれど「季節性並になった」ということらしいので油断は禁物のようですが、とりあえずはやれやれですかね。

新型インフルエンザということで大騒ぎはしましたが強毒性の「鳥インフルエンザ・H5N1」がいつか来るかもしれないことを考えればよい訓練にはなったということでしょうか。

でも想像するだに怖いよね、「鳥インフルエンザ・H5N1」の大流行・・。




大流行終息を宣言=新型インフル、14カ月ぶり解除―累計死者1万8千人・WHO
 時事通信

 【ジュネーブ時事】世界保健機関(WHO)のマーガレット・チャン事務局長は10日、電話会見を開き、新型インフルエンザの世界的な大流行(パンデミック)が終息期に入ったと宣言した。2009年6月11日にWHOがパンデミックの発生を宣言して以来、1年2カ月ぶりの解除となった。
 チャン事務局長は同日開いた専門家による緊急委員会の討議結果を踏まえ、「新型インフルエンザの世界的な感染状況は、大流行期に見られた状況から大きく変わった」と指摘。新型インフルエンザの警戒水準が「もはや、(パンデミックを意味する最高の)フェーズ6ではなく、ポスト・パンデミック(大流行の終息期)に入った」と言明した。
 他方で、「新型インフルエンザ・ウイルスがなくなったわけではない」とも語り、今後数年間は通常の季節性インフルエンザとして流行し続けると予想。当面は、警戒態勢を過度に緩めることなく、ワクチン接種などの対策を引き続き講じるよう求めた。
 WHOによれば、新型インフルエンザの感染は8月1日時点で214カ国・地域で確認され、累計死者数は1万8000人以上。新型インフルエンザは09年3月にメキシコでの感染例が初めて報告された当初、米国を含めた北米地域を中心に猛威を振るい、急速に世界中に広がったが、感染者の大半は通常のインフルエンザと同程度の症状にとどまってきた。

2010年8月9日月曜日

長崎原爆投下 65年目の今日

今年も暑い夏がやってきた。

65年前の今日、6日の広島に続いて長崎にも原爆が落された。

あの地形で原爆が爆発したのだからなあ・・。

想像するだに胸が痛みます。

「核兵器なき世界」が一日もはやく実現しますように。



核なき世界」実現訴え=「禁止条約」支持表明へ−65回目長崎原爆の日


 長崎は9日、65回目の原爆の日を迎えた。爆心地に近い平和公園(長崎市松山町)で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、被爆者や遺族、菅直人首相らが参列し、原爆死没者の冥福を祈った。田上富久長崎市長は平和宣言で、潘基文国連事務総長が提案する「核兵器禁止条約」への支持を表明し、「核なき世界」の実現を国際社会に訴える。
 式典には、核保有国の英仏、事実上の保有国とされるイスラエルの代表や、国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長が初めて列席した。参加国は過去最高の32カ国となる見通し。
 式典は午前10時35分、世界で唯一、被爆者だけで構成する合唱団「ひまわり」による歌で開会。田上市長や被爆者らが、7月までの1年間に死亡が確認された3114人の名前を記した原爆死没者名簿3冊を奉安した。死没者は15万2276人となった。
 原爆投下時刻の同11時2分には、「長崎の鐘」や船舶の汽笛に合わせて1分間の黙とうをささげる。  時事通信社

2010年8月5日木曜日

早くも稲穂が頭を・・


毎日暑い暑いと思って過ごしていたら、散歩道の田んぼではいつの間にか稲穂が頭を垂れていましたよ。

明日の朝は広島に原爆が落ちて65年になるのですね。

その日。たくさんの命が一瞬にして奪われ、その後も多くの人が苦しみながら倒れていった・・。

9日には長崎に原爆が落された。

なんという非道なことをしたのだと改めて思う。

やはり核兵器はいらない。

2010年8月1日日曜日

借りぐらしのアリエッティ

今朝、映画館でジブリの「借りぐらしのアリエッティ」を観てきました。

娘がぜひ行こうというので帰省中の息子を誘って親子三人で行きました。

うちは親子連れといっても、子どもは成人して久しいわけですが彼らなりにジブリには思い入れがあるのでしょうね。「天空の城ラピュタ」とか「風の谷のナウシカ」とか「となりのトトロ」とか・・。

朝一番の上映を観に行ったのですが、映画館に着いてみるとチケット売り場で順番を待つ人の長い行列ができていました。うちとちがってこの行列はいわゆるほんとの小さいお子さん連れが多かったです。さすがに夏休みの日曜日やなあと感心。

私は出発前にネットでチケットを買ってあったので、行列には並ばずにすんなりと入れました。

映画そのものは小さい小人さんが出てくるのですが静かに観てじんわり感じて・・、「おわり」の字幕が出て終わり。ジブリやなあ・・。

映画が終わって館内が明るくなってみるとほとんどの席が埋まっていました。再びロビーに出てみるとさらに大勢の人でごった返していて歩くのもままならないくらいでした。映画館が一つしかないのだから仕方ないですよね。

でも映画はやっぱり映画館で観るのがよいなあ。


2010年7月26日月曜日

広島の平和式典に米英仏が出席の見込み


これで核兵器廃絶への道筋がまたちょっとだけ現実的になってきた。

画期的な出来事が起こりつつあるね。

20世紀は戦争の世紀だったが、21世紀は平和の世紀になるといいね。


米英が初出席で最終調整 広島平和式典、仏も参加
2010年7月26日 21時13分 KYODO NEWS

 来月6日に広島市で開かれる原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)に、米英両政府が初めて出席者を送る方向で最終調整していることが26日、在京外交筋の話で分かった。フランスは既に臨時代理大使の初出席を決めており、米英仏の主要核保有国による式典参加は、核軍縮・廃絶の流れに弾みとなりそうだ。広島市は98年以降、各核保有国に式典への出席を要請している。

2010年7月25日日曜日

断酒も3年目に


思い起こせば2年前の7月24日にある手術を受けて、その日以来お酒を飲んでない。

手術前日にはしばらく飲めないからと、しこたま飲んで当日はいわば二日酔い状態で手術を受けた。

だから本当に飲まなくなるとは全然思ってなかったんだけどね。

その後も家の中にお酒はいつも置いてある。いまもビールや日本酒、ワインもあるよ。時たま帰省する息子が飲むので置いてあるわけ。今夜は一人でいるけれど飲もうとは思わない。

ただ手術前に作って楽しみにしていた果実酒は、妻がいつの間にか捨ててしまったのがもったいなかったなあ。味見くらいしたかったよな。(写真がそれです)

この2年間お酒を飲まなくなってよかったと思うことは、いつ呼び出しがあってもしらふだから自分で運転して行けること。(いつも妻に送ってもらっていました。ありがとね。)

酒に酔って話したことはたいてい忘れていたから、家族とのコミニュケーションは格段に改善。

二日酔いで仕事をしなくなったから、朝から気分が良い・・、かな。


反対によくないことは、いつも「ON」だから精神衛生上「きつい」状態が続いていること。

家に帰ると仕事のことはなるべく忘れるようにしているけれど、すっきりとは行かないよね。

でも酒を飲んでも少しの間気が紛れるだけで何も解決しないからやっぱりお酒を飲むのは意味がない。

なので、できるだけ本を読んだりゲームをしたり、Gyaoで動画を見たりして気分転換をしてますよ。

一人でいる時間を作ることと気分転換はこころの健康のためにはとても大事なことですね。






2010年7月22日木曜日

イタリアで医師らがスト

やるんだよね、医師がストライキ。

我が国でも医療関連予算の削減なんて毎度のことだけど、さすがにストライキまではやらないよね。

せいぜいが反対署名や街頭宣伝、デモくらいかな。それもごく一部だよ。

手段の是非はともかく、こうまでして「医療関連予算の削減に反対する」というイタリアの医師達の強い意志表示と行動力には賛辞を贈る。

我が国の医師会ときたら・・。



イタリアで医師らがスト 医療予算の削減に反対、手術が先送りに

2010年7月21日 提供:共同通信社

 [ローマDPA=共同]イタリアの医師や医療補助者らは19日、政府が発表した医療関係予算の削減に反対して24時間ストライキを実施した。このため、同日に予定されていた約1万件の手術が先送りされた。

 ストには獣医師や医療事務担当者なども参加、議会前で座り込みを行う労働者もいたが、各地の救急センターは平常通り運営され、一部の病院では影響がなかったという。

2010年7月20日火曜日

3D映画「アバター」を2Dで観たら・・

今年の初めに3D映画「アバター」を観てその画像表現の斬新さに感激。

もう一度観たいと思っていた。

最近になってそのDVDを借りることができたので普通に2Dで観てみたら、なんとただのB級映画!

CGはまあまあというところだけれどストーリーで見せる映画ではなかったね。

3Dだからあれだけ感激したわけだ。

もっとも「映画」だからそれでもいいのかもしれないが、自分のなかではペケ映画の仲間に分類されてしまったのでDVDを借りて損した気分。

観なけりゃよかったよ、「アバター」のDVD。

2010年7月16日金曜日

ぜひとも飛ばしてください「はやぶさ2」

7年に及ぶ小惑星探査の宇宙飛行で大活躍した初代「はやぶさ」

後継機がないとこのミッションを支えた優秀なスタッフの確保や技術の継承が困難となる。

人と技術は技術立国日本を支える宝だよ。

お金は少々かかるけど他の国と比べると宇宙探査費用としてはとっても「安い」。

国民の夢を乗せて再び飛び立って欲しいね。



「はやぶさ2」を飛ばすべきか 開発推進の妥当を審議 宇宙開発委
2010.7.16 10:22 産経ニュース

 文部科学省宇宙開発委員会推進部会(青江茂部会長)は16日、小惑星探査機はやぶさの後継機「はやぶさ2(仮称)」の開発研究を推進することが妥当かどうかを審議した。
 数回の審議で結果をまとめ、8月中に本委員会に報告。部会には宇宙航空研究開発機構の吉川真准教授が出席。委員の大学教授ら専門家約20人を前に、後継機の探査目的や開発意義を説明する。計画によると、後継機の打ち上げ目標は平成26年。はやぶさが探査した小惑星「イトカワ」よりも水を含む鉱物や有機物が豊富とみられる小惑星「1999JU3」からの試料持ち帰りを目指す。
 はやぶさと同様の、周辺からの観測や岩石採取に加え、地表に物をぶつけて直径数メートルの人工クレーターをつくり、内部の物質の観測や採取も試みる。

2010年7月12日月曜日

参議院選挙で民主党がずっこけ

参議院選挙の結果は「消費税増税」を言い出した民主党が議席を大きく減らした。

消費税増税反対の「みんなの・・」が躍進。

こんなに暮らしが大変なのに消費税増税はないよね。

この点では国民の選択は妥当なものとうつる。

これからは民意を無視した政治は通用しなくなることを期待したい。

再び衆・参で「ねじれ」現象となったが、与党は衆議院で2/3以上の議席がないので以前の自公政権がさかんにやった「強行採決」はできない。

与野党でよく話しあって「国民目線」での政治をぜひお願いします。

2010年7月10日土曜日

投票日前日

明日は参議院選挙の投票日。

私は仕事があるので早々と「期日前投票」をしてきた。

今度の選挙で民主党が過半数をとれば一気に消費税10%へ弾みがつく。

国民投票法が実施段階だから憲法改正への動きも活発化するかもしれない。

菅首相も発言自体はブレまくりだが、消費税で増税したいのが本音。

金のない国民から消費税でがっぽりと絞り上げて、法人税減税の財源にするというのだからなんという非道な政治をするのかな。

国民向けには国の財政が大変だからとか理屈にならない理由をならべたてているけれど、過去の消費税の税収額と法人税の減税額がほぼ等しいなんてこれ以上の説得性のある根拠はないでしょうに。

大企業からは税金をいただかない。大銀行からも税金をいただかない。国民は労働者の所得が減り続け、そのうち2割強くらいがワーキングプアなどと言われるくらいお金がない。だから税収が足りない。

国の借金が増え続けているのはお金を持ってる大企業から適切に税金を取り立てないで不足分をずっと国債で賄ってきたからだよ。

カルロス・ゴーンは8億9千万円の年俸をもらってる。大企業のお偉いさんはしっかりとお金をもらっているのに、もっと減税をしてあげて足りない分を消費税で賄うなんてなあ。

時事通信社の集計によると、金融庁が2010年から個別開示を義務付けた報酬1億円以上の役員は280人超に達した。企業数は約160社で3月期決算企業全体の約6%。)

消費税増税絶対反対!

2010年6月26日土曜日

やまももとアゲハチョウ



昨日の朝、いつものようにワンコの散歩に出ようとしたら玄関脇の傘立てにアゲハチョウがお泊まり。死んでいるのかもなどと妻と話していたら、しっかり動いていました。羽化したばかりで羽を広げているのかもだけなのかもしれない。そのうちいなくなってしまいました。

ワンコとの散歩道に沿って3ヶ所に「やまもも」の木が植わっています。今年もたくさん実をつけていましたが少しずつ熟してきてなんだかおいしそうです。もう少ししたら味見をさせていただこうかな・・。

2010年6月14日月曜日

お帰り!「はやぶさ」

7年かけて60億キロメートルと長く困難な旅路の果てに目的を遂げて流れ星になって地球に帰ってきた。

お疲れさん、「はやぶさ」とスタッフの皆さん。

すごいね、日本の科学技術。

この次は木星の衛星・エウロパの氷か何かをもって帰って欲しいかも。



「はやぶさ」大気圏突入、60億キロの旅帰還


星空を進む「はやぶさ」。天の川(左)の中にある南十字星の上で消えた=尾崎孝撮影
 【ウーメラ(オーストラリア南部)=本間雅江】日本の小惑星探査機「はやぶさ」が13日夜、地球と太陽の距離の40倍に上る60億キロ・メートルの旅を終え、打ち上げから7年ぶりに地球へ帰還した。

 午後8時21分(日本時間午後7時51分)に試料カプセルの分離に成功し、同11時21分(同10時51分)ごろ大気圏へ突入した。

 カプセルがウーメラ(南オーストラリア州)付近で回収される可能性が高まった。

 カプセル内には、小惑星の砂が入っている可能性がある。小惑星の砂や石は、ぎゅっと固まる過程を経た惑星の岩石と違い、太陽系の初期の状態をとどめているとみられる。米アポロ計画で採取した月の石などに続く、貴重な試料として、世界の研究者の期待を集めている。

 はやぶさは、2003年5月に地球を出発。05年11月に地球から3億キロ・メートル離れた小惑星「イトカワ」に着陸し、砂などの採取を試みた。地球からは小さすぎて見えない小惑星に、正確にたどり着いて軟着陸したのは史上初だった。

 しかし、離陸後に燃料漏れで制御不能になり、通信も完全に途絶した。奇跡的に復旧し、07年に地球への帰路についたが、帰還は3年遅れとなり、劣化の激しい電池やエンジンでぎりぎりの運用が続いてきた。

 秒速5キロ・メートルで飛行していたはやぶさは、地球へ近づくにつれて重力で加速。南アジアの上空7万4000キロ・メートルに達した所で、カプセルを分離した。この後、まずカプセル、続いて本体がオーストラリア上空で大気圏に突入し、夜空に光跡を描いて落下した。月より遠い天体に着陸した探査機が、地球に帰還するのは世界でも初めて。

 本体は大気との摩擦で燃え尽きるが、カプセルは底面が断熱材で覆われており、突入の数十秒後にはパラシュートを展開して減速。位置を知らせる電波を発信しながら降下した。ウーメラ付近の砂漠に着地した模様。宇宙航空研究開発機構は、カプセルを14日にも回収。チャーター機で日本に持ち帰り、専用施設で慎重に中身を調べる。

 イトカワで試みた砂の採取は、装置が正常に作動せず、失敗した。しかし、着陸の際に舞い上がった砂煙が、カプセル内に入った可能性がある。

 はやぶさは、新技術のイオンエンジンを搭載した。のべ4万時間稼働して、小惑星へ往復する長距離の航行を完遂。日本の宇宙技術の高さを世界に示した。

(2010年6月13日23時16分 読売新聞)

2010年6月12日土曜日

休みはやっぱり温泉



この土曜日は久々の休み。

思い立って家族で日帰り温泉に入ってきた。

高速を飛ばして近場のいつものホテルの温泉。

いつものように昼前に入ると貸し切り状態。

ゆっくり浸かって、お昼をたべて帰ってきました。

この日は台風みたいに風が強くて風車のプロペラが勢いよく回っていたよ。


2010年6月2日水曜日

「聞く耳を持たなくなった」のは鳩山首相のほうではないの

「国民が聞く耳を持たなくなった」のは私のせいだから「辞める」っておかしくないですか。

鳩山首相が特に基地の移転問題で公約違反の閣議決定をして、日米声明などを出すに至っては国民の意見に対して「聞く耳を持たなくなった」のは首相自身でしょうが。

それを「国民に責任がある」かの様に言うのは物事の道理を理解する能力がないのか。

それとも確信犯的に責任を国民になすりつけてるのか。

いずれにしてもこんなふうに政権を投げ出すなんて政治家としての誠意がちっとも感じられないし、一国の首相としての責任ある態度とは到底思えない。

今回の会見の中で唯一の正しい判断は、理由はともかく「政界から引退する」ってことだ。

うーん、鳩山さんはまったくの期待外れだったね。


次期衆院選に出馬せず=「退陣、国益につながる」-鳩山首相


鳩山由紀夫首相は2日夕、首相官邸で記者団に「次の総選挙には出馬はしない」と述べ、今期限りで政界を引退する意向を表明した。首相は、その理由について「首相たるもの、影響力を(退陣の)その後、行使し過ぎてはいけない」と説明した。
 首相は辞任の理由について「国民が聞く耳を持たなくなったとすれば(政府は)立ち行かなくなる。自分が身を引くことが結果として国益につながると判断した」と述べた。また、「10日から1週間くらい前から、そのことを自問自答していた」とし、衆院解散について「選択肢はなかった」と述べた。
 首相は5月31日の民主党の小沢一郎幹事長、輿石東参院議員会長との会談で「身を引きたい、辞したい」と伝えたとし、翌1日の会談では「私も辞めるが、一番求められているのは政治とカネにおけるクリーンさだ。そのために幹事長にも身を引いていただきたい」と申し出て、了承を得たと語った。同日の会談後、記者団の「続投か」との質問に、笑顔で左手の親指を立てたことについては「自分が(辞意を)心に決めていても、それを表したときに(政局が混乱し)どのようになるかは分かるだろう。自分の心を外には一切出さないように努めた」と主張した。
 在任中にやり残した仕事としては北方領土問題を挙げ、「今年3回、(ロシアの)メドベージェフ大統領と真剣に議論ができると楽しみにしていた」と語った。今後の民主党に対しては、「この政党は変わった、クリーンになったとの印象を与えることが大事だ」と強調。新代表選出や新執行部人事が党の印象を左右するとの見方を示した。
 首相は秘書官を通じて、3日以降は記者団の質問を受け付けない意向を示している。 (2010/06/02-21:41)jijicom 時事ドットコム

2010年5月19日水曜日

「たぬき」を目撃

今さっき雨中を近くの郵便ポストまで郵便物を投函しに歩いていたのですよ。

そしたら広い道路の反対側の歩道を反対向きに歩く小動物が目に入りました。

初めは猫かなあと思ったけれど、どうも体形が違うよなあと気になってずっと見ていたら
向こうも気がついたのかこちらを見ましたよ。

お顔は「たぬき」そのものでした。

携帯を持っていたので写真でもと近づいたら、残念ながら近くの家の庭に逃げ込んでしまいました。

このあたりは山際だからいろんな動物を見てきたけれど「たぬき」は初めてだったので興奮しましたよ。

向こうは迷惑だったろうけど、癒されますね。

2010年5月13日木曜日

自殺白書「20~30代自殺率、最悪・・」

警察庁から昨年の「自殺白書」が発表されたニュース。

「昨年の自殺者は前年を596人上回り、1978年に統計を取り始めてから5番目に多く、12年連続で3万人超となった。」

見出しにもあるけど20~30歳代の自殺率が最悪で動機に「失業」や「生活苦」が大幅に増加したそうな。50歳代では「孤独感」が目立ったんですと。

これって個人の問題というより、「政治・経済の失政のしわよせ」に個人が押しつぶされたって感じる。

経済の混乱は世界的な現象だけれど、失業したり生活苦になったからといって自殺するのは先進国ではめずらしい・・?

失業保険や生活保護などのセーフティネットが十分に機能してればこんなことにはならないはずだが、悲しいことにこの国の福祉は
というようなタイトルの本が出版されるくらいのレベルだからね。

せっかく政権も民主党主体の連立政権に代わって「国民の声を大事にする」様になったはずなので「物言わぬ死者の声」にもよく耳を傾けてほしいと思う。

平和なはずの日本で若い命を自ら絶つ人々がこんなにも多いという悲しい事実を鳩山さんは知っているのかな。




20~30代自殺率、最悪…動機に生活苦

 警察庁は13日、昨年1年間の全国の自殺者3万2845人の動機や年齢別などの調査結果を公表した。

 各年代別の人口10万人当たりに占める自殺者の割合(自殺率)は20歳代が24・1人で、30歳代も26・2人と前年に続き過去最悪を更新した。動機別では「失業」や「生活苦」が大幅に増加し、50歳代以降の「孤独感」も目立った。景気低迷や人間関係の希薄化が進み、若年層から高齢者までの幅広い世代で先行き不安が広がっている実態を示した格好だ。

 ◆12年連続3万人台◆

 昨年の自殺者は前年を596人上回り、1978年に統計を取り始めてから5番目に多く、12年連続で3万人超となった。

 遺書などから動機を特定できたのは2万4434人。52項目(複数選択可)に分けられた動機のうち、健康問題が1万5867人と最多で、中でも「うつ病」は6949人で全項目中トップ。2番目に多かった経済・生活問題を動機とした8377人の分析では、「失業」が前年より65・3%増の1071人。「就職失敗」354人(前年比39・9%増)、「生活苦」1731人(34・3%増)も含めると全体の約4割を占め、雇用や家計の深刻さもうかがえる。

 年代別では、50歳代が最多の6491人(2・0%増)と全体の19・8%を占め、60歳代5958人(3・9%増)、40歳代5261人(5・9%増)となり、30歳代の4794人は99年より997人増え、20歳代の3470人(0・9%増)とともに自殺率で過去最悪を更新した。

 50歳代以降の動機は「孤独感」が前年より20・2%多い440人。20~30歳代の若年層では、「家族からのしつけ・叱責(しっせき)」が63人(70・3%増)、「仕事疲れ」311人(19・2%増)が前年より大幅に増加している。職業別では、無職者1万8722人が全体の57%を占めた。「年金・雇用保険等生活者」は前年より14・8%増の6028人で、これに失業者2341人が続いた。また、自殺者のうち小中高校生は計306人と前年並みで、「いじめ」は7人だった。

(2010年5月13日12時01分 読売

2010年5月9日日曜日

ゆずとレモンとブルベリー




庭の草木もいっぱい花を咲かせています。

今年はゆずとレモンの花がたくさん咲きました。

去年は裏年だったのか、ゆずもレモンもほとんど収穫なし。

今年は大いに期待が持てます。

ブルーベリーは相変わらずたくさんの実をつけてくれそうです。

出勤前につまんで食べるとうまいんだよ。

2010年5月5日水曜日

消えた黄菖蒲の群生地



去年までワンコとの散歩道に黄菖蒲の群生地があった。

いつも楽しみにしていたのだけれどいつの間にか田んぼになってしまった。

国有地だっただけにそのままにしておいてくれたらよかったのに・・。


2010年5月4日火曜日

核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて平和行進

核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて渡米している日本の被爆者や広島、長崎市長や関係団体の人々がニューヨークで核廃絶を訴えて行進をした。ちょうどオバマが「核兵器のない世界」を唱えているときだけにさぞかし意気が揚がったことだろう。

私の勤めている事業所からもある団体を通して2人の職員をこの行進に派遣した。もちろん費用はカンパだよ。先月、そのうちの一人が県内の被爆者の声を集めたのだけれど、この行進に持っていきたいので英訳をして欲しいと依頼してきた。まわりの皆が断るので、私にはそんな英語力はないが自動翻訳のソフトでのそれでよければと引き受けた。そうして出てきた英語の文章は所々は変だが、全体としてはなんとか意味を伝えていたので少し手直しをして渡した。一緒に活動している人の中に英語の教師もいるとのことなので校正をお願いするとのことだった。
これだけたくさんの人々が集う集会になってよかったね。

彼女が持っていった被爆者の声は次のようなものだったよ。(了解を得て掲載します。)

2010年・NPT再検討会議へ向けて

~被爆者の方からのメッセージ~

被爆者として60余年を生きてきて原爆がもたらした苦しみについて、世界の人にこれだけは伝えておきたいと願うことは

一瞬にして奪われた一番楽しいはずの青春時代、心身共に傷つき何十年も思いだしたくない。口にすることすら嫌な出来事で、未だに体調不良に悩まされております。

長崎県大村病院で看護の仕事をしており被爆者の患者を収容しました。全身火傷で病院に来られ、第一声は「水、みず」と、水をほしがり、急いで水を飲ませてあげましたが、苦しがってばたばたとベットから落ちました。髪が抜けた事に唖然とした顔で、私はまともに見る事が出来ず。絶対にあってはならない原爆投下に市民は唖然としていました。非戦闘人を殺した事は、私は許せません。

二度と起こさないように願っています。入市した時の地獄のような風景、今だに思い出す事があります。

人間だけでなく生き物(植物・動物全て)殺してしまう。怖いやゆうものでない。毎年、8月6日が来たら1ヶ月位、ご飯が食べられない。戦争は二度としてはならない。

戦争はしないでください。核兵器は絶対にやめてください。

私は少年兵として志願して兵隊になり広島で通信兵として勤務していました。8月6日原爆を投下され、あの悲惨な状態を三ヶ月見ました。絶対に戦争によって一瞬で破壊されるこのような兵器を使用してはならないと、世界に伝えていかねばと思います。

本人は今年90歳、病気療養中の為、家族としての思いを記します。核兵器の使用は絶対にやめてください。世界平和を願っています。

原爆が人間にもたらす苦しみや痛みは計り知れない。このような事のないように原爆がなくなるように運動しましょう。

被爆二世、兄弟四人、全員肝炎で苦しんでいます。

「お母さん、痛い、イタイ、水、みず」と言いながら天国へ、あの子供たちの顔が頭の中から消える事はありません。戦争のない平和を願っております。

私は被爆者を収容した病院で救護をしました。本当に地獄のような毎日でした。被爆時の人々の苦しみや若くして亡くなった人々を、又後々の健康に対する不安等、あの惨事を二度と繰り返さないために今の子供たちに伝えていきます。

強者が弱者の言い分を聞かず、力にものを言わせる社会となってしまった今、再び戦争が起きれば、勝国と負ける国が出来る。

負けて生き残る悲惨を見るわけにはいかない。女や子供を殺す事によって得る勝利の意味は何か。

世界から恐ろしい戦争をなくしてほしい。

核兵器の使用を禁止しないと、人類は滅亡への道をたどっていく。

It is message from the A-bomb victim for 2010 / NPT reexamination meeting.

Praying when only this wants to tell a world person about the pains that I live in 60 rest of life as an A-bomb victim, and an atom bomb brought.

I am hurt together and do not want to remember the youth that should be the most fun, the mind and body which I was robbed of instantly for dozens of years either.

Even that I eat it is still troubled in an unpleasant event by poor physical condition.

I did the work of the nursing in Omura Hospital at Nagasaki prefecture and took the patient of the A-bomb victim.

When I could come to the hospital by a burn from head to foot, and the first utterance "watched water", I wanted water and served it water hastily, but I suffered and fell from Bet noisily.

That, with a face dumfounded by hair having fallen out, I look directly.

The citizen was dumfounded by absolute atom bomb throwing down.

I cannot allow to have murdered a non-battle person.

I pray to never wake you up.

I may still remember the scenery that it seems to be hell when I came in the city.

I kill a creature (all the plant / the animals) as well as a human being.

Fear is not a thing to talk no.

Rice is not edible every year for around one month if August 6 comes.

You must never do the war.

Please do not fight.

Please certainly give up having the nuclear weapon.

I applied as a boy soldier and became a soldier and worked as a communication soldier in Hiroshima.

It was dropped an atom bomb on August 6 and looked at that miserable state for three months.

I think that the world cannot stream down it when I must never use such a weapon destroyed by an instant by war.

The person himself writes down the thought as the family this year for 90 years old, disease medical treatment average.

Please certainly stop the use of the nuclear weapon.

I pray for world peace.

Pains and the pain that an atom bomb brings to a human being are immeasurable.

Let's exercise so that an atom bomb disappears not to make any such thing.

I suffer from a being bombed Nisei, brothers four, all the members hepatitis.

The face of those children cannot disappear to heaven from a head while telling you to "look mother, having an ache, having a pain in, give me water".

I pray for peace without the war.

I rescued it at the hospital which accommodated an A-bomb victim.

It was really every day such as Hell.

Because uneasiness for the future health never repeats that tragic incident again, present children can stream down the pains of people at the time of the being bombed and the people who died young.

A strong man does not hear the say of the weak, and rely on power; if war happens again now that social, it is possible for a victory country and a country to be defeated by.

I cannot look at the misery I lose, and to survive.

What is the meaning of the victory to get by murdering a woman and a child?

I want you to get rid of terrible war from the world.

The human traces the way to extinction when I do not prohibit the use of the nuclear weapon.


ゴールは核廃絶 被爆者NYを行進

横断幕やプラカードを手に、行進する参加者(2日午後、米・ニューヨークで)=小西太郎撮影

 【ニューヨーク=岡田浩幸】核拡散防止条約(NPT)再検討会議で渡米している日本の被爆者や広島市の秋葉忠利市長、長崎市の田上富久市長らが2日(日本時間3日)、ニューヨークの中心部で核廃絶や平和を訴える行進をした。

 行進には約2万5000人(主催者発表)が参加。スタート地点のタイムズ・スクエアで、秋葉市長が平和記念公園の「平和の(ともしび)」から採火したトーチを掲げ、「ゴールはただ一つ。地球上からの核廃絶だ」と訴えた。日本からの約2000人も「No more HIROSHIMAS No more NAGASAKIS(ヒロシマ、ナガサキを繰り返すな)」などの横断幕やプラカードを手にし、国連本部までの約2キロを歩いた。

(2010年5月4日 読売新聞)

2010年4月27日火曜日

早くも田植え


今朝は前線の通過で大荒れの天気。

さすがに朝の散歩は億劫だったけど、雨の中でもワンコは当然みたいに私を待っていましたよ。

時折強い風が吹いて傘が壊れそうになる程でしたが、いつものように散歩に出ました。

昨日は田んぼに水が入っていたのでそろそろ田植えかなと思っていたら、しっかりと稲が植わっていましたね。

そのうちに、おたまじゃくしやヤゴなんかが現れて楽しませてくれそうです。

2010年4月25日日曜日

朝の散歩で見た花は・・





いつも通りの朝の散歩。

桜が終わったら、今度はツツジ。

いつのまにか移ろっていくなあ。

玄関の花もいろいろで、ブルーベリーやアメリカハナミズキなんかも花をつけてましたよ。

気持ちにゆとりがないとせっかくの花も見落としてしまうね。

2010年4月24日土曜日

こいのぼり


春の長雨もとぎれて快晴となった朝。

ワンコと散歩に出たら、近所のお家で今年もこいのぼりをあげておられました。

お孫さんのために毎年あげるのだそうです。

わが家は孫がいないので(普通ならいてもおかしくはないのだけれど)長い間、こいのぼりとは縁がありません。

こうやってご近所のこいのぼりを見ては「端午の節句」を思い起こしています。