2009年2月28日土曜日

留守番


妻は金曜の夜、この土日にある研修のため勤め先からそのまま東京へ行ってしまった。帰ってくるのは月曜の朝で、そのまま出勤するらしい。私とは完全にすれ違いで4日ほどお別れです。

で、昨夜から私とワンコは留守番。

とはいっても私は今日は朝から仕事で、昼から会議だったので帰ってきたのは夜。

今週はずっと夜の会議が多くて大変だったなあ、と思いつつ準備した「水炊き」鍋の蓋をとった。

まあまあいけそうじゃん。

ところで、この鍋を食べ始めたのはそもそもいつだったかな・・。

なんとね、木曜日の夜に「鳥の水炊き」として登場したのが始まりと気がついた。

昨日の夜も帰りが遅かったので具を足して一人で食べた。

今朝も暖めて一人で食べた。

今夜もどうするかいろいろ考えたけど、入れ忘れた豆腐もあるしで同じものになった。

またしても一人では食べきれないので、明日の朝はご飯を入れて雑炊かも。

同じお鍋で「5食」だよ!




2009年2月23日月曜日

医師研修見直しに疑問あり

2004年度から現行の卒業後の医師研修制度に変わった。

当初の目的は専門科に偏らない幅広い知識と技術をもった総合的な診療のできる医師を育てようということだったはず。

厚労省はなかなかやるじゃないと思っていたのだが、今回の見直しの内容を見ると顕在化した「医療崩壊」を前に本来の趣旨を忘れてしまったらしい。

最近の厚労省は稚拙な施策をつぎつぎと出して現場を困らせるのはお得意だけれど、今回は医療の根幹にかかわることだけにもっとよく考えて欲しい。

単に医師の数だけ増やしても意味がない。進路を法律で縛るのも意味がない。

どうして、こんなことになったのかの分析をしっかりとしないから、稚拙な政策しか出てこない。

もう一度立ち止まって、国民が安心して医療を受けられるようにするにはどうすればいいのかをよく考えるべきだ。

机上の空論を振りかざすのはいい加減に止めて欲しい。




中日新聞 CHUNICHI WEB

【社説】
医師研修見直し 本末転倒の場当たり策
2009年2月23日

 厚生労働、文部科学両省がまとめた二〇一〇年度からの医師臨床研修制度の見直し策は、当面の医師不足対策にすり替えられ、本末転倒だ。国民がどんな医師を求めているかを忘れてはならない。
 〇四年度から始まった研修制度では国家試験合格後の二年間に内科、外科、麻酔科、小児科、産婦人科、精神科、救急の七診療科の研修を必修としている。
 見直し策では必修を一年目に内科(六カ月以上)、救急(三カ月以上)、二年目に地域医療研修(一カ月以上)にとどめ、それ以外は二診療科を選択する「選択必修」になる。
 現行通りに各科を回ることも研修病院の判断でできるが、特定の診療科だけの研修でも済む。この結果、制度上の研修期間は二年間だが、実質的には一年以上を専門医として研修に特化できる。
 見直しの背景にあるのは、出身大学に残らない研修医が増え、大学が関連病院へ交代で派遣する医師を確保できなくなったことだ。これが医師不足を深刻化させたとの不満は地方の大学ほど強い。
 研修期間を短縮し、さらに都道府県ごとに研修医の定員枠を設けて大都市への集中を減らし、大学に残る医師を増やそうというのが制度見直しの大きな狙いだ。
 地方の医師不足を考えれば理解できるが、研修制度ができたのは、これからの医師には専門に偏らず救急、地域医療、いくつもの疾患を持つ高齢者の増加などにも対応できる幅広い臨床能力を身につけてほしいという国民の要望からだった。研修医の生活保障に公費を投入するのもこのためだ。
 にもかかわらず研修期間を実質的に短縮するのは、制度を設けた本来の趣旨に反する。
 今回の見直しで、出身大学に残る研修医が増え、地域医療の水準が上がるかどうかも疑問だ。
 大学病院の研修医が減ったのは、待遇が悪いうえに魅力ある研修プログラムに欠けているとの指摘がある。今回の見直しで大学に残る研修医が多少増えても、その後専門医としての腕を磨く環境になければ二年後には別の医療機関に移動してしまうだろう。
 医師不足や地域偏在、診療科による偏在の是正は、研修制度の手直しで解消する問題ではない。
 国民一人当たりの医師数を計画的に増やすとともに、卒前教育を含めた医師養成のあり方、医学界全体で診療科ごとに必要な専門医数の算定や資格要件を明確にするなど総合的に取り組むべきだ。

2009年2月22日日曜日

大学入試


今週から国立大学の前期入試が始まるみたいだね。

受験生の皆さんにはもてる力を存分に発揮できるように願っています。

ところで、私の子供たちは今年は3人とも大学生。

末の子が一年生なので入試はありません。その意味では気が楽。

でも一年前までは実に6年間にわたり、受験生をもつ親でしたよ。ダブル受験の時もあったしね。

二浪、一浪、現役と三人三様の受験をして何とか大学に入り今に至っています。入ってみれば、それぞれにそれなりの大学生活を楽しんでいるようです。

自分もそうだったけど18やそこらで自分の一生を決めることなんてできないよね。

でも、確信はなくとも何かを選び取らないといけない時期でもある。

こんな世の中だから、先でどうなるかそれこそ誰にもわからないという厳しい現実もあるけれどとりあえず自分の信じる道を進んで欲しい。

そして、できれば少しでもいいからほかの人や社会に善意でかかわれる人になって欲しい。

どんな道に進もうともそういう人生を選んでくれることを願っています。

2009年2月15日日曜日

at rest


いつもの散歩道。

昼間は力強く動いていたはずのショベルカーがじっとしている。

いかにも「今はお休み」な格好。

キカイもこうやって休むんだ。

2009年2月14日土曜日

バレンタインデー


気にしてなくても、ちょっぴり気になるバレンタインデー。

とっくの昔に「おじさん」の我が身にはあんまり関係ないんだけどね。

周りは結構気遣ってくれて、今年もいくつかの職場から戴きました。

当然、義理チョコ。

でも、ほんとにありがとうございます。

この不景気の中、義理堅く贈っていただけるなんてね。

実は今年度はあんまり給料って出てないのよね。だってボーナスが前年度より1ヶ月分も少ないもの。

あんまり景気とは関係ないような業種ではあるけれど、景気が悪いとやっぱり利用者さんが減るみたい。結果として今年度の利益率は1%を切ってて、年度末でどうにかとんとんになればいいのにというレベル。

ニュースを見ててもまじめに働いていても突然首になったり、仕事がなくてホームレスになったりと雇用が不安定だと良くないよね。

お金はばらまかなくていいから、みんなが安心して働けて働いた分に見合うだけの収入が得られるような社会であって欲しい。

政治家のみなさんよろしくお願いします。

今度の総選挙はきちんと人を見て投票しましょう。



2009年2月7日土曜日

拝啓 十五の君へ


さっき、○タヤでアンジェラ・アキの「手紙〜拝啓十五の君へ〜」のCDを借りてきた。

実は妻が学校に勤めていることもあって、最近しばしばこの歌を家で聴くようになった。
とくに○HK番組のなかで中学生を前にアンジェラ・アキがこの歌を歌っている○ouTubeの動画がお気に入り。

なにより現役の中学生を前にしてのアンジェラ・アキの熱唱がすばらしい。聞いている中学生の中にもそっと涙をぬぐう姿もあって、この年ごろの子供たちの心に確かに響くものがあるのだろう。
見ている私のまぶたもじわっと熱くなる。

この歌を聴きながらはるか昔の自分を思い出してみる。

十五の君ならぬ「十五の私」は今からだと丁度40年前に遡るが、今の十五の君と同じ受験生。

当時家は貧しくて、そのためにいろいろと気苦労はあったが何故か自分自身の「可能性」については絶大な自信を持っていたと記憶している。その「可能性」を信じてとことん応援してくれたのが私の父親だった。

父親は苦労した人で貧しさのゆえに上級学校へ行くことができなかった。そのせいか子供の教育にはえらく熱心で、決して口うるさくはなかったがその「期待」はきちんと子供に伝える人だった。うるさいと思わせない程度にじわーっと圧力をかけてくる、今思えば絶妙な導きかただったね。

おかげでほぼ思い通りに進学でき、その後の努力といくつかの幸運もあって今の自分がある。
その父親もすでに亡くなって久しいが、思い出す度に感謝感謝ですよ。

この歌にあるように、いま「十五の君」は自分の「可能性」を信じてがんばって欲しいね。