2009年10月11日日曜日

オバマ大統領のノーベル平和賞受賞

オバマ大統領のノーベル平和賞受賞が決まったと聞いたとき、「えっ」と思った。

だって、この前大統領になったばかりだよ。

国際貢献での実績といえば「9月24日に国連安全保障理事会で、オバマ大統領は議長として核不拡散と核軍縮に関する首脳級会合を開き、「核兵器なき世界」の条件作りを目指す決議1887を全会一致で採択した。」ことくらいかな。

これは画期的なことだし国際的には評価もされて当然と思う。オバマ大統領は偉いと素直に思う。

だけどまだ「実際に核兵器が減った実績」も無い。

イラクの状況はよくなっているわけではないし、アフガニスタンだって米軍の大幅な増兵を必要としている状態だよ。こんなときに「ノーベル平和賞」受賞っていいのかなと思ったわけ。

結果としてオバマ大統領を権威づけて国際的支持を強めたりする「効用」はあるかもしれないが、「ノーベル平和賞」ってそんなものだったのという戸惑いもある。

佐藤栄作ももらってるくらいだから、やっぱりそんなものかもなあ。

どうやらおなじノーベルでも「平和賞」は基準が違う別物ってことだね。





オバマ政権の負担に?…平和賞で広がる戸惑い
【ワシントン=黒瀬悦成】


 ホワイトハウスでは同日、ギブス大統領報道官に記者団が「冷戦終結に道を開いたレーガン大統領は受賞していない」「ウィルソン大統領以降の受賞者はカーター元大統領、ゴア元副大統領と民主党員ばかりだ」と選考に関する質問を次々に浴びせ、報道官は「私はノーベル賞委員会の一員ではない」と懸命にかわした。
 一方、保守派の論客からは「大統領は受賞を辞退しろ」(グレン・ベック氏)、「ノーベル賞委員会は自らの権威を失墜させた」(ラッシュ・リンボー氏)と強硬な批判が相次いだ。平和賞の受賞に保守勢力が一斉に反発を始めたことで、医療保険制度改革などの内政面で目立っていた民主・共和党間の亀裂が、外交分野でも一層鮮明になるのは確実と見られる。
 オバマ政権にとって、アフガニスタンへの米軍増派の是非など、安全保障の根幹にかかわる懸案では、国論を分断させないためにも共和党を含む超党派の合意が欠かせない。今後、核不拡散などで実績を上げられなければ、世論の失望感が一気に高まることも予想され、大統領は受賞がかえって負担となり、苦しい立場に追い込まれかねない恐れがある。

(2009年10月10日21時30分 読売新聞)



ノーベル平和賞「核なき世界」オバマ大統領


 【オスロ=大内佐紀】ノルウェーのノーベル賞委員会は9日、2009年のノーベル平和賞を「国際協調外交を推進した功績」で、米国のバラク・オバマ大統領(48)に授与すると発表した。

 特に、オバマ氏が核兵器の全廃に向け外交交渉を開始したことを評価した。

 現職米国大統領の受賞は1906年のセオドア・ルーズベルト、19年のウッドロー・ウィルソン以来で、90年ぶり。就任して1年にも満たない大統領が選ばれるのは異例で、同委のオバマ大統領への期待値の高さを示した。

 同委のトールビョルン・ヤーグラン委員長は、核軍縮交渉のほか、国連をはじめ多国間の枠組みを重視し、中東和平交渉など、「対話」を促進していることについて、オバマ氏への「支持」を表明。オバマ氏が提唱する「グローバルな問題に取り組むため、みなが責任を分かち合おう」という考えに「ノーベル委員会が108年間、まさしく追求してきた理念だ」と最大限の賛辞を贈った。

 オバマ氏は今年4月、プラハでの外交演説で、広島、長崎に原爆を投下した米国には、核兵器を使用した唯一の国として、行動する道義的責任があると語り、「核兵器のない世界」に向け、交渉開始を宣言。9月に国連安全保障理事会で、議長として「核兵器全廃に向けた」決議採択を主導した。ロシアと戦略核兵器の大幅削減を目指す交渉を開始、年内大筋合意を目指す。

 授賞には、世界随一の経済力と軍事力を背景にした、ブッシュ前米政権時代の一国主義から決別し、多国間の対話を重視するオバマ氏にエールを送り、米国が国際社会との協調を強めることを促す狙いがある。

 授賞理由では、米国が気候変動問題でより建設的な役割を演じている、とも指摘した。温室効果ガス削減で慎重意見が多い米国世論に大統領への協力を求める意図もうかがえる。

 授賞式は12月10日、オスロ市庁舎で開かれ、賞金は1000万スウェーデン・クローナ(約1億3000万円)。

 ◆授賞理由の骨子◆

 ▽国際的な外交と諸国民の協力強化に向けた比類なき努力

 ▽「核兵器のない世界」の構想とそれに向けた取り組み

 ▽国際機関の役割を重んじる多国間外交が中心的な位置を回復

 ▽米国は気候変動問題でより建設的な役割を演じている

 ▽より良い未来に向け、世界の人々に希望を与えた

 ◆ノーベル平和賞=国際的な平和活動の推進や軍縮などに貢献した人物や団体に授与される。ダイナマイトの発明で富を築いたスウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベル(1833~96)の遺言に基づき、1901年に創設された。

 生理学・医学、物理学、化学、文学、経済学の各賞の選考はスウェーデンで行われ、平和賞だけは創設当時、スウェーデンと連合王国だったノルウェーの国会が選んだ委員会が行う。授賞式は、ノーベルの命日にあたる12月10日。

 日本人では非核三原則を唱えた佐藤栄作元首相が74年に受賞した。

(2009年10月9日21時48分 読売新聞)





佐藤栄作元首相が、日本人として初めてノーベル平和賞を受賞した。
1974年(昭和49年)



 核持ち込みや沖縄返還にからむ、日米間の「密約」問題がクローズアップされている。元外務次官が密約の存在を証言。民主党も総選挙前から「隠しているものはすべて出す」と、政府側を追及し、政権獲得後は外務省内に「調査チーム」を発足させた。

 戦後最長の7年8か月間、総理大臣の座にあった老練な政治家。密約を最も身近に知っていたはずの一人である佐藤栄作元首相に対し、ノーベル平和賞が贈られた。引退から約2年後の1974年10月8日、ノルウェーのノーベル賞委員会は平和賞の授与を決定したのだ。授賞の理由は「日本の核武装に反対し、首相在任中に核拡散防止条約に調印したこと」など。佐藤元首相の非核政策を高く評価するということである。

 平和賞は日本初。しかし、列島全体は喜びいっぱいどころではなかった。「どうして、佐藤さんが?」というのが、正直な反応だった。

 平和賞決定の2日前の6日、米議会原子力合同委員会が「日本に寄港する米海軍の艦艇が、ほとんどの場合、核兵器を積んだまま入港していた」という証言を公表していた。有名な「ラロック証言」(ジーン・ラロック退役海軍少将の証言)である。これは、核兵器を「持たない」「作らない」「持ち込ませない」という日本の「非核三原則」を真っ向から否定する内容だった。

 当然、ノーベル賞受賞の取材で集まった記者も、佐藤元首相にこの問題を質問した。受賞については上機嫌で喜びを語った佐藤元首相だが、ラロック証言については「批判が出ることは結構なことじゃないですか。退役軍人の証言がどこまで本当か知らんが、あまり心配することはないんじゃないの。油断もしちゃいかんがね」とかわした。首相時代の厳しい顔に戻り、口をへの字に曲げてボソボソと語ったという。

 首相在籍中の1972年に佐藤氏は、沖縄返還にともなう土地の原状回復補償費を日本側が肩代わりするという日米の密約問題について、国会で当時の社会党から追及されている。さらに、この問題は“機密漏えい”事件に発展し、新聞記者が逮捕された。沖縄返還を花道として首相の座を降りた佐藤氏だが、花道の陰に隠されたものはなかったのか。(敦)

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