2010年12月18日土曜日
映画「ロビン・フッド」を観てきた
2010年11月29日月曜日
残念だよ、沖縄県知事選挙
終盤で今回は勝てるかもと言われていたし、私の知人達もカンパを募って沖縄まで応援に行ったよ。
私はカンパをしただけだけど応援してましたよ。
選挙には負けても相手陣営を「沖縄以外」といわせるまで追いつめたのは成果といえるかも・・。
基地問題の決着はまだまだ、これからだよ。
沖縄知事に仲井真氏が再選 普天間移設先「沖縄にはない」
2010/11/28 22:41 日経Web版
任期満了に伴う沖縄県知事選は28日投開票され、自民党県連の支援を受けた無所属現職の仲井真弘多氏(71)=公明、みんな推薦=が、無所属新人の前宜野湾市長、伊波洋一氏(58)=共産、社民、国民新、新党日本、沖縄社会大衆推薦=ら2氏を破り、再選を果たした。政府は米軍普天間基地移設問題を巡り対話継続を探るが、仲井真氏は県外移設要求に転じており、名護市辺野古への移設は困難な状況が続く。
投票率は60.88%で、前回を3.66ポイント下回った。
仲井真氏は28日夜、普天間基地の移設先について「沖縄に移設先はない。日本全国で移設先を探してほしい」と述べた。
同知事選は民主党政権を揺るがしてきた普天間移設問題に大きな影響を与えることから、政府、与野党の関心も高かった。民主党は日米合意の履行を重視する党本部と県外移設を主張する同県選出議員らの間で対応が定まらず、自主投票になった。
仲井真氏は自公政権時代、辺野古移設を条件付きで認めていたが、1月の名護市長選で反対派市長が誕生したことなどから、9月末に県外移設要求の姿勢に転じた。一貫して国外移設を主張してきた伊波氏は及ばなかった。
政府は対話を否定しない仲井真氏の再選で協議の継続に期待をかける。菅直人首相は知事選後の沖縄訪問を検討しており、政府は基地負担の軽減などを示して地元の理解を得たい考えだ。
ただ、県外移設要求を掲げて再選を果たした仲井真氏が来春までに再び容認に転じる見込みは薄い。移設先とされた名護市の稲嶺進市長は「海にも陸にも基地は造らせない」と断固反対の立場で、前進が期待できる状況ではない。首相は13日のオバマ米大統領との首脳会談で、来年春にも米国を訪問して共同声明を出すことで合意したが、基地問題の調整の行方次第では訪米の足かせになりかねない。
2010年11月8日月曜日
イタリアを発つ日はどしゃ降り
イタリア旅行の最終日は雨
今日は朝から曇り空。
2010年11月7日日曜日
やっとフィレンツェの市内観光へ
2010年11月6日土曜日
今日はVINCI
今朝は疲れもあってとくにゆっくりの出発になりました。
2010年11月5日金曜日
今日はピサ(Pisa)とルッカ(Lucca)へ
今日も朝から鉄道を使ってフィレンツェを離れてまずはトスカーナの西のPisaへ向って出発。
2010年11月4日木曜日
本日はシエナ(Siena)
2010年11月3日水曜日
Cascine広場の青空市とインプルネーター(impruneta)
今朝は毎週火曜日に開かれるというフィレンツェのCascine広場での青空市に行きました。
2010年11月2日火曜日
やっとフィレンツェに到着
先ほど、とうとうイタリア・フィレンツェのホテルに無事チェックイン。
11月1日の朝6時のリムジンバスに乗り込んで関西国際空港へ行き、イタリアへ向けて空港を発ったのが午前11時。
一回乗り継いでフィレンツェの空港に着いたのが日本時間で2日の朝6時過ぎ(現地時間では22時過ぎ)。
今回はアムステルダムでの乗り継ぎに4時間ほどかかったのでトータル24時間の旅!
なんと長かったこと・・。
アムステルダムからの乗り継ぎ便の窓からフィレンツェの街の灯が見えたときには、やっぱりきれいやなあと素直に感激。
でも、ほんとに疲れましたよ。
いろいろあったし、前日は2時間程しか眠ってなかったからくたくたです。
フィレンツェには7泊するのですが、はっきりした予定は決めてはないので明日の朝に妻と相談しながら動きますね。
少し休んでからシャワーを浴びて・・、とりあえず寝ます!
2010年10月27日水曜日
11月1日はミラクル フライト?
実は一昨日あたりから台風14号の動きが気になっている。
2010年10月17日日曜日
「たこフェリー」の船がいなくなった
残念だがここからはたびたび乗りに行くわけにもいかないしなあ。
それにしてもタイに売られていったなんてね・・。
でも、向こうではきっと大活躍するんだよ!
(元気でな・・)
たこフェリー永遠なれ タイに売却、年内に運航停止 高速道割引響く
2010.10.15 13:37 産経ニュース
“たこフェリー”の愛称で知られる「明石淡路フェリー」(兵庫県明石市)の船舶「あさしお丸」が、タイのフェリー会社に売却され、明石のシンボル、タコが描かれた船体が15日、新天地のタイに向けて明石港(同市)を出発した。
明石港と岩屋港(同県淡路市)を結ぶ同フェリーは高速道路の大幅割引が直撃し、3年前と比べて運航収益が半分以下に落ち込むなど経営悪化が深刻化。所有する船舶2隻を1隻に減らし、9月21日からは運航便数を従来の約6割にするダイヤに変更していた。残る1隻も、年内にも運航停止するという。
あさしお丸は今月3日、たこフェリーとして最後の運航を終えて引退し、タイのフェリー会社に売却された。
明石港では、地元で親しまれた船体が岸から離れると、市民らが「ありがとう」「さようなら」と別れを惜しんでいた。近所の主婦、染田和子さん(64)は「明石市民にとって特別な船なのでさびしい」と話した。
2010年9月26日日曜日
行ってきましたよ、剣山
最近は公私共に忙しすぎてストレスいっぱい・・。
2010年9月24日金曜日
やったね、イチロー! 10年連続200安打
大リーグで10年連続200安打だからね。
なかなかできないことだが、彼ならこれも通過点にして11年でも12年でもできそうな気がする
。
このニュースは元気が出るね。
イチローが200安打達成 10年連続に記録更新 '10/9/24
【トロント共同=小西慶三】中国新聞
米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(36)=本名鈴木一朗
すずき・いちろう
=は23日、カナダ・トロントのロジャーズ・センターで行われたブルージェイズ戦で、大リーグにデビューした2001年から10年連続でのシーズン200安打を達成した。
自らが昨季、成し遂げた9年連続の大リーグ記録を更新するとともに、達成回数でピート・ローズ(レッズなど)の持つ最多記録「10」に並んだ。ア・リーグ最多記録のタイ・カッブ(タイガースなど)の9度は更新した。
この日まで全151試合に出場し、200安打まであと2本としていたイチローは、三回に左翼線へ二塁打。五回にライナーで中前打を放って大台に乗せた。
イチローは昨季、ウィリー・キーラー(オリオールズなど)が1894年から1901年に記録した8年連続を抜き、108年ぶりに連続200安打の新記録を樹立した。今季は152試合目での200安打で、160試合を要した05年に次ぎ、02、03年と並ぶ遅めの到達となった。
プロ野球オリックスから移籍したイチローは01年に242安打で新人のシーズン最多安打、04年には262安打のシーズン最多安打を達成。昨季は日本選手初のメジャー2千安打に到達し、今季は9月18日に日米通算で3500安打を超えた。
通算4256安打の大リーグ記録を持つローズは、メジャー17年目に38歳で10度目を達成。レッズの監督だった89年に野球賭博への関与で永久追放処分を受けた。
10年連続200安打を達成、ファンの拍手に応えるイチロー(共同)
<ブルージェイズ1-0マリナーズ>◇23日(日本時間24日)◇ロジャーズセンター
10年連続200安打を達成したマリナーズ・イチロー外野手(36)はクラブハウス内で、いつもの試合後と同じように自分のロッカーの前で取材に応じた。淡々とここまでの歩みを振り返った。
-記録達成
イチロー チームメートがみんな祝福してくれて、あっ、喜んでいいんだなと思った。2年前のこと(一部地元メディアの批判的な報道)がトラウマ(心的外傷)になってるから。ちょっとほっとした。
-達成感はあるか
イチロー あるある。ただ、表現しづらいというだけ。
-今季は目標ではないと言ってきた
イチロー 2年前は目標にすることすら否定されて、今度は目標としていないのになんか変な感じですよね。
-200安打10度でローズに並んだ
イチロー ぜひ超えてあげたいですね。
-200安打への思いは変わらないか
イチロー 簡単じゃないことは僕が一番知っている。それなりの思いがある。
-10年の重みは
イチロー 1年目のスプリングトレーニングで「彼からヒットを打てると思いますか」という質問が飛んできた。いまはヒットが出ないと「何で出ないのか」という質問に変わった。そういう状況をつくれたのはすごく良かった。周りを変化させられたことに対してはちょっとした気持ち良さがある。
-投手有利と言われる今季も記録を伸ばした
イチロー 僕の中にオプション(選択肢)があるのは武器になる。対応の引き出しが幅を生む。それがないと新しいものが現れたら対応は難しい。
-ここまでの道のりの苦しさについて
イチロー すごく苦しい。純粋にプレーだけさせてもらったらそんなにしんどくない。楽ではないけどね。
2010年9月3日金曜日
明石海峡「たこフェリー」廃止打診
これはとても残念なニュース。
タコフェリーに乗ったのは一度だけだけど結構楽しかった。
学生や近くの人の交通手段としてもりっぱに役割を果たしていたのにね。
明石側のおいしい海鮮丼も食べれなくなるのかなあ。
明石海峡「たこフェリー」廃止打診 高速道無料化で再建困難
2010.9.3 11:51 産経ニュース
兵庫県明石市と淡路島を結び、「たこフェリー」の愛称で知られる「明石淡路フェリー」について、同市は3日、親会社である「ツネイシホールディングス」(広島県福山市)から、航路の廃止と会社清算を打診されたことを明らかにした。高速道路の料金値下げの影響などで同フェリーの経営は苦しく、保有していた1隻を売却するなど、経営状態の改善に努めていた。
明石市の北口寛人市長はこの日会見を開き、「(親会社の意向を)撤回させることや、新たな出資者探しは現実的に難しく、並行してフェリーを運航する別の民間企業に働きかけて統合の道を探りたい」と話した。
同フェリーは、明石海峡大橋の開通に伴って廃業した明石フェリーの後を継ぐ形で、明石市や淡路島内の自治体と、甲子園高速フェリー(現在はツネイシ社と合併)が出資して平成12年に設立された第三セクター。
2010年8月22日日曜日
カラスの稲刈り
2010年8月18日水曜日
2010年8月15日日曜日
65回目の終戦記念日
2010年8月11日水曜日
新型インフルエンザ大流行終息宣言
思えば昨年のゴールデンウイーク頃から大変な目に遭いましたよ。
院内感染でアウトブレイクしたらどうしようかと日々戦々恐々として対策をしてきましたもんね。
私の勤務先では職員はいまだにマスクをして診察してますよ。
去年は夏も流行してましたからね。
大流行は終わったけれど「季節性並になった」ということらしいので油断は禁物のようですが、とりあえずはやれやれですかね。
新型インフルエンザということで大騒ぎはしましたが強毒性の「鳥インフルエンザ・H5N1」がいつか来るかもしれないことを考えればよい訓練にはなったということでしょうか。
でも想像するだに怖いよね、「鳥インフルエンザ・H5N1」の大流行・・。
大流行終息を宣言=新型インフル、14カ月ぶり解除―累計死者1万8千人・WHO 時事通信
【ジュネーブ時事】世界保健機関(WHO)のマーガレット・チャン事務局長は10日、電話会見を開き、新型インフルエンザの世界的な大流行(パンデミック)が終息期に入ったと宣言した。2009年6月11日にWHOがパンデミックの発生を宣言して以来、1年2カ月ぶりの解除となった。
チャン事務局長は同日開いた専門家による緊急委員会の討議結果を踏まえ、「新型インフルエンザの世界的な感染状況は、大流行期に見られた状況から大きく変わった」と指摘。新型インフルエンザの警戒水準が「もはや、(パンデミックを意味する最高の)フェーズ6ではなく、ポスト・パンデミック(大流行の終息期)に入った」と言明した。
他方で、「新型インフルエンザ・ウイルスがなくなったわけではない」とも語り、今後数年間は通常の季節性インフルエンザとして流行し続けると予想。当面は、警戒態勢を過度に緩めることなく、ワクチン接種などの対策を引き続き講じるよう求めた。
WHOによれば、新型インフルエンザの感染は8月1日時点で214カ国・地域で確認され、累計死者数は1万8000人以上。新型インフルエンザは09年3月にメキシコでの感染例が初めて報告された当初、米国を含めた北米地域を中心に猛威を振るい、急速に世界中に広がったが、感染者の大半は通常のインフルエンザと同程度の症状にとどまってきた。
2010年8月9日月曜日
長崎原爆投下 65年目の今日
65年前の今日、6日の広島に続いて長崎にも原爆が落された。
あの地形で原爆が爆発したのだからなあ・・。
想像するだに胸が痛みます。
「核兵器なき世界」が一日もはやく実現しますように。
核なき世界」実現訴え=「禁止条約」支持表明へ−65回目長崎原爆の日
長崎は9日、65回目の原爆の日を迎えた。爆心地に近い平和公園(長崎市松山町)で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、被爆者や遺族、菅直人首相らが参列し、原爆死没者の冥福を祈った。田上富久長崎市長は平和宣言で、潘基文国連事務総長が提案する「核兵器禁止条約」への支持を表明し、「核なき世界」の実現を国際社会に訴える。
式典には、核保有国の英仏、事実上の保有国とされるイスラエルの代表や、国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長が初めて列席した。参加国は過去最高の32カ国となる見通し。
式典は午前10時35分、世界で唯一、被爆者だけで構成する合唱団「ひまわり」による歌で開会。田上市長や被爆者らが、7月までの1年間に死亡が確認された3114人の名前を記した原爆死没者名簿3冊を奉安した。死没者は15万2276人となった。
原爆投下時刻の同11時2分には、「長崎の鐘」や船舶の汽笛に合わせて1分間の黙とうをささげる。 時事通信社
2010年8月5日木曜日
早くも稲穂が頭を・・
2010年8月1日日曜日
借りぐらしのアリエッティ
2010年7月26日月曜日
広島の平和式典に米英仏が出席の見込み
これで核兵器廃絶への道筋がまたちょっとだけ現実的になってきた。
画期的な出来事が起こりつつあるね。
20世紀は戦争の世紀だったが、21世紀は平和の世紀になるといいね。
米英が初出席で最終調整 広島平和式典、仏も参加
2010年7月26日 21時13分 KYODO NEWS
来月6日に広島市で開かれる原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)に、米英両政府が初めて出席者を送る方向で最終調整していることが26日、在京外交筋の話で分かった。フランスは既に臨時代理大使の初出席を決めており、米英仏の主要核保有国による式典参加は、核軍縮・廃絶の流れに弾みとなりそうだ。広島市は98年以降、各核保有国に式典への出席を要請している。
2010年7月25日日曜日
断酒も3年目に
思い起こせば2年前の7月24日にある手術を受けて、その日以来お酒を飲んでない。
2010年7月22日木曜日
イタリアで医師らがスト
2010年7月21日 提供:共同通信社
[ローマDPA=共同]イタリアの医師や医療補助者らは19日、政府が発表した医療関係予算の削減に反対して24時間ストライキを実施した。このため、同日に予定されていた約1万件の手術が先送りされた。
ストには獣医師や医療事務担当者なども参加、議会前で座り込みを行う労働者もいたが、各地の救急センターは平常通り運営され、一部の病院では影響がなかったという。
2010年7月20日火曜日
3D映画「アバター」を2Dで観たら・・
もう一度観たいと思っていた。
最近になってそのDVDを借りることができたので普通に2Dで観てみたら、なんとただのB級映画!
CGはまあまあというところだけれどストーリーで見せる映画ではなかったね。
3Dだからあれだけ感激したわけだ。
もっとも「映画」だからそれでもいいのかもしれないが、自分のなかではペケ映画の仲間に分類されてしまったのでDVDを借りて損した気分。
観なけりゃよかったよ、「アバター」のDVD。
2010年7月16日金曜日
ぜひとも飛ばしてください「はやぶさ2」
後継機がないとこのミッションを支えた優秀なスタッフの確保や技術の継承が困難となる。
人と技術は技術立国日本を支える宝だよ。
お金は少々かかるけど他の国と比べると宇宙探査費用としてはとっても「安い」。
国民の夢を乗せて再び飛び立って欲しいね。
「はやぶさ2」を飛ばすべきか 開発推進の妥当を審議 宇宙開発委
2010.7.16 10:22 産経ニュース
文部科学省宇宙開発委員会推進部会(青江茂部会長)は16日、小惑星探査機はやぶさの後継機「はやぶさ2(仮称)」の開発研究を推進することが妥当かどうかを審議した。
数回の審議で結果をまとめ、8月中に本委員会に報告。部会には宇宙航空研究開発機構の吉川真准教授が出席。委員の大学教授ら専門家約20人を前に、後継機の探査目的や開発意義を説明する。計画によると、後継機の打ち上げ目標は平成26年。はやぶさが探査した小惑星「イトカワ」よりも水を含む鉱物や有機物が豊富とみられる小惑星「1999JU3」からの試料持ち帰りを目指す。
はやぶさと同様の、周辺からの観測や岩石採取に加え、地表に物をぶつけて直径数メートルの人工クレーターをつくり、内部の物質の観測や採取も試みる。
2010年7月12日月曜日
参議院選挙で民主党がずっこけ
2010年7月10日土曜日
投票日前日
2010年6月26日土曜日
やまももとアゲハチョウ
2010年6月14日月曜日
お帰り!「はやぶさ」
お疲れさん、「はやぶさ」とスタッフの皆さん。
すごいね、日本の科学技術。
この次は木星の衛星・エウロパの氷か何かをもって帰って欲しいかも。
「はやぶさ」大気圏突入、60億キロの旅帰還
星空を進む「はやぶさ」。天の川(左)の中にある南十字星の上で消えた=尾崎孝撮影
【ウーメラ(オーストラリア南部)=本間雅江】日本の小惑星探査機「はやぶさ」が13日夜、地球と太陽の距離の40倍に上る60億キロ・メートルの旅を終え、打ち上げから7年ぶりに地球へ帰還した。
午後8時21分(日本時間午後7時51分)に試料カプセルの分離に成功し、同11時21分(同10時51分)ごろ大気圏へ突入した。
カプセルがウーメラ(南オーストラリア州)付近で回収される可能性が高まった。
カプセル内には、小惑星の砂が入っている可能性がある。小惑星の砂や石は、ぎゅっと固まる過程を経た惑星の岩石と違い、太陽系の初期の状態をとどめているとみられる。米アポロ計画で採取した月の石などに続く、貴重な試料として、世界の研究者の期待を集めている。
はやぶさは、2003年5月に地球を出発。05年11月に地球から3億キロ・メートル離れた小惑星「イトカワ」に着陸し、砂などの採取を試みた。地球からは小さすぎて見えない小惑星に、正確にたどり着いて軟着陸したのは史上初だった。
しかし、離陸後に燃料漏れで制御不能になり、通信も完全に途絶した。奇跡的に復旧し、07年に地球への帰路についたが、帰還は3年遅れとなり、劣化の激しい電池やエンジンでぎりぎりの運用が続いてきた。
秒速5キロ・メートルで飛行していたはやぶさは、地球へ近づくにつれて重力で加速。南アジアの上空7万4000キロ・メートルに達した所で、カプセルを分離した。この後、まずカプセル、続いて本体がオーストラリア上空で大気圏に突入し、夜空に光跡を描いて落下した。月より遠い天体に着陸した探査機が、地球に帰還するのは世界でも初めて。
本体は大気との摩擦で燃え尽きるが、カプセルは底面が断熱材で覆われており、突入の数十秒後にはパラシュートを展開して減速。位置を知らせる電波を発信しながら降下した。ウーメラ付近の砂漠に着地した模様。宇宙航空研究開発機構は、カプセルを14日にも回収。チャーター機で日本に持ち帰り、専用施設で慎重に中身を調べる。
イトカワで試みた砂の採取は、装置が正常に作動せず、失敗した。しかし、着陸の際に舞い上がった砂煙が、カプセル内に入った可能性がある。
はやぶさは、新技術のイオンエンジンを搭載した。のべ4万時間稼働して、小惑星へ往復する長距離の航行を完遂。日本の宇宙技術の高さを世界に示した。
(2010年6月13日23時16分 読売新聞)
2010年6月12日土曜日
2010年6月2日水曜日
「聞く耳を持たなくなった」のは鳩山首相のほうではないの
鳩山首相が特に基地の移転問題で公約違反の閣議決定をして、日米声明などを出すに至っては国民の意見に対して「聞く耳を持たなくなった」のは首相自身でしょうが。
それを「国民に責任がある」かの様に言うのは物事の道理を理解する能力がないのか。
それとも確信犯的に責任を国民になすりつけてるのか。
いずれにしてもこんなふうに政権を投げ出すなんて政治家としての誠意がちっとも感じられないし、一国の首相としての責任ある態度とは到底思えない。
今回の会見の中で唯一の正しい判断は、理由はともかく「政界から引退する」ってことだ。
うーん、鳩山さんはまったくの期待外れだったね。
次期衆院選に出馬せず=「退陣、国益につながる」-鳩山首相
鳩山由紀夫首相は2日夕、首相官邸で記者団に「次の総選挙には出馬はしない」と述べ、今期限りで政界を引退する意向を表明した。首相は、その理由について「首相たるもの、影響力を(退陣の)その後、行使し過ぎてはいけない」と説明した。
首相は辞任の理由について「国民が聞く耳を持たなくなったとすれば(政府は)立ち行かなくなる。自分が身を引くことが結果として国益につながると判断した」と述べた。また、「10日から1週間くらい前から、そのことを自問自答していた」とし、衆院解散について「選択肢はなかった」と述べた。
首相は5月31日の民主党の小沢一郎幹事長、輿石東参院議員会長との会談で「身を引きたい、辞したい」と伝えたとし、翌1日の会談では「私も辞めるが、一番求められているのは政治とカネにおけるクリーンさだ。そのために幹事長にも身を引いていただきたい」と申し出て、了承を得たと語った。同日の会談後、記者団の「続投か」との質問に、笑顔で左手の親指を立てたことについては「自分が(辞意を)心に決めていても、それを表したときに(政局が混乱し)どのようになるかは分かるだろう。自分の心を外には一切出さないように努めた」と主張した。
在任中にやり残した仕事としては北方領土問題を挙げ、「今年3回、(ロシアの)メドベージェフ大統領と真剣に議論ができると楽しみにしていた」と語った。今後の民主党に対しては、「この政党は変わった、クリーンになったとの印象を与えることが大事だ」と強調。新代表選出や新執行部人事が党の印象を左右するとの見方を示した。
首相は秘書官を通じて、3日以降は記者団の質問を受け付けない意向を示している。 (2010/06/02-21:41)jijicom 時事ドットコム
2010年5月19日水曜日
「たぬき」を目撃
2010年5月13日木曜日
自殺白書「20~30代自殺率、最悪・・」
20~30代自殺率、最悪…動機に生活苦
警察庁は13日、昨年1年間の全国の自殺者3万2845人の動機や年齢別などの調査結果を公表した。
各年代別の人口10万人当たりに占める自殺者の割合(自殺率)は20歳代が24・1人で、30歳代も26・2人と前年に続き過去最悪を更新した。動機別では「失業」や「生活苦」が大幅に増加し、50歳代以降の「孤独感」も目立った。景気低迷や人間関係の希薄化が進み、若年層から高齢者までの幅広い世代で先行き不安が広がっている実態を示した格好だ。
◆12年連続3万人台◆
昨年の自殺者は前年を596人上回り、1978年に統計を取り始めてから5番目に多く、12年連続で3万人超となった。
遺書などから動機を特定できたのは2万4434人。52項目(複数選択可)に分けられた動機のうち、健康問題が1万5867人と最多で、中でも「うつ病」は6949人で全項目中トップ。2番目に多かった経済・生活問題を動機とした8377人の分析では、「失業」が前年より65・3%増の1071人。「就職失敗」354人(前年比39・9%増)、「生活苦」1731人(34・3%増)も含めると全体の約4割を占め、雇用や家計の深刻さもうかがえる。
年代別では、50歳代が最多の6491人(2・0%増)と全体の19・8%を占め、60歳代5958人(3・9%増)、40歳代5261人(5・9%増)となり、30歳代の4794人は99年より997人増え、20歳代の3470人(0・9%増)とともに自殺率で過去最悪を更新した。
50歳代以降の動機は「孤独感」が前年より20・2%多い440人。20~30歳代の若年層では、「家族からのしつけ・叱責(しっせき)」が63人(70・3%増)、「仕事疲れ」311人(19・2%増)が前年より大幅に増加している。職業別では、無職者1万8722人が全体の57%を占めた。「年金・雇用保険等生活者」は前年より14・8%増の6028人で、これに失業者2341人が続いた。また、自殺者のうち小中高校生は計306人と前年並みで、「いじめ」は7人だった。
(2010年5月13日12時01分 読売
2010年5月9日日曜日
ゆずとレモンとブルベリー
2010年5月5日水曜日
2010年5月4日火曜日
核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて平和行進
核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて渡米している日本の被爆者や広島、長崎市長や関係団体の人々がニューヨークで核廃絶を訴えて行進をした。ちょうどオバマが「核兵器のない世界」を唱えているときだけにさぞかし意気が揚がったことだろう。
2010年・NPT再検討会議へ向けて
~被爆者の方からのメッセージ~
Praying when only this wants to tell a world person about the pains that I live in 60 rest of life as an A-bomb victim, and an atom bomb brought.
I am hurt together and do not want to remember the youth that should be the most fun, the mind and body which I was robbed of instantly for dozens of years either.
Even that I eat it is still troubled in an unpleasant event by poor physical condition.
I did the work of the nursing in Omura Hospital at Nagasaki prefecture and took the patient of the A-bomb victim.
When I could come to the hospital by a burn from head to foot, and the first utterance "watched water", I wanted water and served it water hastily, but I suffered and fell from Bet noisily.
That, with a face dumfounded by hair having fallen out, I look directly.
The citizen was dumfounded by absolute atom bomb throwing down.
I cannot allow to have murdered a non-battle person.
I pray to never wake you up.
I may still remember the scenery that it seems to be hell when I came in the city.
I kill a creature (all the plant / the animals) as well as a human being.
Fear is not a thing to talk no.
Rice is not edible every year for around one month if August 6 comes.
You must never do the war.
Please do not fight.
Please certainly give up having the nuclear weapon.
I applied as a boy soldier and became a soldier and worked as a communication soldier in Hiroshima.
It was dropped an atom bomb on August 6 and looked at that miserable state for three months.
I think that the world cannot stream down it when I must never use such a weapon destroyed by an instant by war.
The person himself writes down the thought as the family this year for 90 years old, disease medical treatment average.
Please certainly stop the use of the nuclear weapon.
I pray for world peace.
Pains and the pain that an atom bomb brings to a human being are immeasurable.
Let's exercise so that an atom bomb disappears not to make any such thing.
I suffer from a being bombed Nisei, brothers four, all the members hepatitis.
The face of those children cannot disappear to heaven from a head while telling you to "look mother, having an ache, having a pain in, give me water".
I pray for peace without the war.
I rescued it at the hospital which accommodated an A-bomb victim.
It was really every day such as Hell.
Because uneasiness for the future health never repeats that tragic incident again, present children can stream down the pains of people at the time of the being bombed and the people who died young.
A strong man does not hear the say of the weak, and rely on power; if war happens again now that social, it is possible for a victory country and a country to be defeated by.
I cannot look at the misery I lose, and to survive.
What is the meaning of the victory to get by murdering a woman and a child?
I want you to get rid of terrible war from the world.
The human traces the way to extinction when I do not prohibit the use of the nuclear weapon.
ゴールは核廃絶 被爆者NYを行進
【ニューヨーク=岡田浩幸】核拡散防止条約(NPT)再検討会議で渡米している日本の被爆者や広島市の秋葉忠利市長、長崎市の田上富久市長らが2日(日本時間3日)、ニューヨークの中心部で核廃絶や平和を訴える行進をした。
行進には約2万5000人(主催者発表)が参加。スタート地点のタイムズ・スクエアで、秋葉市長が平和記念公園の「平和の