15日早朝に出発して福島原発事故の動向を見極めながら高速道路をひた走り、17時間かけて宮城県塩釜市の坂総合病院に到着しました。
仙台東ICを降りると明かりがほとんどなく壊れた家屋と車が道の両側に放置され、地震と津波被害のあまりのひどさに息を飲みました。ニュースでは断片的に観ていたものの街灯や信号機の点いていない廃虚とも言える街の惨状は想像を超えたものでした。
坂総合病院は比較的高台にあり、耐震構造の新築病院だったのが幸いしてほとんど無傷でした。震災後から殺到する患者さんの対応に、被災者でもある職員と支援者達が24時間態勢でがんばっていましたよ。
私たちはとりあえず宿泊場所に案内され持参した寝袋で仮眠をとりました。
翌朝から医師、看護師、事務にそれぞれの仕事が割り振られ支援活動開始です。
私は病院内で日中、夜間ともに救急外来を担当して次々と運ばれてくる患者さんを診ていました。発生後5日も経過するとやって来る患者さん達の多くは通常見かける疾患が主になっていました。
ただ劣悪な環境の避難所や何とか住める程度に残った家屋に住んでいるため暖房がなく、水や食料も十分に行き渡っていないようで治療が終わってもまたそこへ帰っていかなくてはならないことに対する不安を隠せない様子でした。
医療支援はもちろん大切ですが、この被災地の方々のもとに一刻も早く暖かい住まいと食料が与えられるようになることを願わずにはいられませんでした。そのためにも国や自治体がもっと迅速に強力に動いて欲しいと思います。
実働は三日間でしたが、毎日の様に全国各地の病医院から続々と支援に訪れる仲間達を頼もしく感じながら昨日は14時間かけて夜遅く帰ってきました。
今は無事に帰り着いたことにほっとしていますが、心中は複雑で整理がつきかねています。
私たちが彼らのためにしてあげられることは他に何があるだろうか・・と。
今朝、医療支援の第2陣が現地に向けて出発しました。とりあえずは今できることを続けていくつもりです。