2009年11月20日金曜日

フィレンツェの路上駐車



フィレンツェから帰ってほぼ一週間。

毎日車で出勤してますが、地元の道路はとっても平和。気楽に運転してます。

実は向こうへ行くときに「国際運転免許証」なるものを持っていきました。

レンタカーを借りて田舎を走ろうと思っていたのね。

旅行の直前に免許証を交付してくれた免許センターの窓口の方が「どうぞ、お気をつけて」としんみりおっしゃったのが気になっていましたよ。

でも、着いてみてすぐに私に運転は無理だとわかりました。

一方通行の道路の片側は路上駐車の車が列をなし、残った狭い道を車やバイクがびゅんびゅん飛ばしてきます。誰も彼もがとにかく強気で突っ走る感じ。これがイタリア気質かなあ。

駐車している車をよく見るとバンパーや側面は傷だらけ泥だらけ。ホイールは歩道の側面でこすれて傷だらけ。まともにきれいな車はほとんどありません。しかも、よくこんな間隔で止めるよなあという止めかたも当たり前。

私の住んでる土地は運転が荒いので有名だけれどフィレンツェと比べたらおとなしいものですよ。ほんとに気楽。車も皆きれい。もちろん私も大事に乗っていますよ。

一度も使わなかった「国際運転免許証」。有効期間は一年だけれど、きれいなまま返すことになりそうです。


2009年11月15日日曜日

緊急呼び出し


夕べ旅行から帰ったばかりなので、さすがに今朝はいつもより少しだけ遅く起きてワンコと散歩に行きました。

妻は疲れて昼前までぐっすりと眠り込んでいました。

居間でくつろいでいると9時半に携帯が鳴り、表示を見ると職場からでしたよ。

今日は日曜日だし、私はまだ休みのはずなんだけどなあ。

こういうときはきまっていい話ではないのでいやだったけど鳴ったものは仕方ない。

案の定、同僚から「緊急の手術」ですと。

私がいなくてもできそうに思うけど受けた以上断るわけにも行かず、昼から夜までお仕事になりました。

これでは旅の余韻を楽しむ間もない。

また、空を飛びたくなったよ。

2009年11月13日金曜日

Ciao!


これから食事をしてフィレンツェの空港へ行きます。

長いと思っていた旅ももう終わり。

よい思いでがたくさんできました。

また、来たいですね。

Ciao!

灯台下暗し



昔からよくいうことわざに「灯台下暗し」というのがあるけれど、今日はこれがぴったりの出来事がありました。

実はフィレンツェにきてから朝は早くにホテルを出て遠くの市場や土産物店、レストランに行っていました。ホテルには夜になって帰ってくるのでホテルの周囲のお店はいつも閉まっていたわけで、どんなお店があるのかは今日まで知りませんでしたよ。

明日の朝には空港から飛び立つので、今朝はいつも通り市内見物や土産物店などに出かけ昼前に一旦ホテルに戻りました。

すると何だかホテルの周囲の雰囲気が違います。たくさんのきちんとしたお店があって中心部と負けず劣らずにぎやかです。
遠くまで買いものに行く必要なし。しかも今まで敬遠していたレストランで初めて夕食を食べましたが、ここが一番おいしいものを出してくれました。ガイドブックに載っていたお店よりよほどしっかりした料理でしたよ。
こんなことならここで毎日食事をすればよかったと後悔しましたが、最後にほんとにおいしい料理に出会えてHAPPY!




2009年11月12日木曜日

今日は散歩で・・



朝は一応ミケランジェロ広場へ行くことになり、徒歩で広場まで歩きました。

町並みを見ながら丘に上がるとサン・ミニアート・アル・モンテ教会があり、まずはそちらの見学。林の中を歩くとやはり日本とは違うなあと思わされます。

広場からの眺めはとても良かったけれど、やはり教会が落ちつきます。妻にだいぶ感化されましたね。

丘を下りアルノ川に沿って中央駅のほうへ向かい、有名な革製品を扱う店に行き子どもたちへのお土産を買いました。いくつになってもお土産ってもらうといいよね。

ウフィッツィ美術館の裏のカフェテリアで簡単な食事をして、再び同じ美術館巡り。
二回目なので余裕で見てまわりました。当たり前のことかもしれませんが、ルネッサンス当時の有名な画家たちは一様に権力者たちからの注文を受けて絵を描いていたことで絵の主題が必然的に聖書に基づいた宗教画や肖像画などにならざるを得なかったのだとわかりました。また宗教改革前後の絵の表現の違い、特に聖人の扱いなどについても自分たちで勝ってな解釈をしながら楽しむことができました。

ジェラートを食べて鋭気を養ったあとは妻になんと十年を経て約束のプレゼントを買いました。この間幾度となく「一緒に行って買ってこようね」といい続けていたことが実現して心から満足!

夜はトラットリアで食事。だいぶ要領がわかってきたのでたいていのお店に入っても大丈夫。
でも今夜のお店ではメニューに日本語で添え書きがしてありました。だからno problem!

いっぱい歩いて、いっぱい食べた一日でした。

さて、楽しかった今回の旅行も明日が最終日。本音はもっと長くいたいけど仕方ないですね。

三回目のウフィッツィ美術館巡りとお土産を買い足しながらゆっくり過ごす予定です。


2009年11月11日水曜日

サンタ・クローチェ教会とウフィッツィ美術館へ




今朝は宿の近くのサンタ・クローチェ教会へ。
すぐ近くにいながら有名どころを避けてましたが、一応見ておこうかなと・・。
残念ながら内部のほとんどは補修中で余りよくは見えませんでした。

その後はサンタンブロージュ市場へ行こうとして遠回りして大通りにでたら、次々と観光バスが止って中からぞくぞくと降りてきたのはなんと日本人の団体旅行客ばかり。

市場は小さくてあまり収穫はなく、兼ねてからの目的のウフィッツィ美術館へと向かいましたがここでも日本人の集団がぞくぞくと集合してきます。まあ、大変な数ですよ。

時間があったのでお土産を探して「IL Papiro」という墨流しに似た技法でつくったマーブル紙を売っているお店に行きました。店主は日本語がうまくて「まあ、見た行きなさいよ」とマーブル紙を作る実演をしてくれました。きれいにできるものだと感心したあとはうまく乗せられて50ユーロ余りを使ってしまいましたよ。とても商売上手!

私はウフィッツィ美術館は二度目なのですが、今回はクリスチャンでもある妻とじっくり見て回りました。驚いたのは聖書を読み込んでいると宗教画に対する理解度が違うんですね。いろいろと教えられることも多くてあっという間に3時間が過ぎました。充実した時間を過ごせて満足。
明日も行くことになってます・・。

2009年11月10日火曜日

キャンティー半日ツアーに行きました




突然ですが、今朝になって妻がこんな半日ツアーがあるというので「キャンティー半日ツアー」に参加しました。

予約はTELでしようとしましたが、言葉が通じずに断念。

結局、フィレンツェ中央駅のツーリストに直接申し込みに行って午後からのツアーに参加できました。いろいろな国からの参加者がいてにぎやかでした。

シエナに向かう途中で方向を変えてキャンティーという地方のワイナリーに向かいました。

ブドウ畑とオリーブ園が連なる丘陵地帯で紅葉もみえてすっかり秋の気配でした。

このツアーはガイドは英語のみなので、ワイナリーでは細かいことはよくわかりませんでしたが皆でおいしいワインとサラミを戴きました。

私は控えめに味見だけしましたが久々に少し酔ってしまいましたよ。

短い時間でしたがトスカーナ地方の郊外の雰囲気が楽しめてGood!

2009年11月9日月曜日

フィレンツェ2日目





ゆっくりするはずの二日目の今日は朝早くから勤勉に動いてしまいました。


クリスチャンの妻は日曜日には旅行先の教会で「礼拝を守る」のを常にしているのです。

というわけで今朝も雨の中をアルノ川の対岸にあるルーテル派の教会まで歩いていきました。

私もお伴で礼拝に出ましたよ。当然イタリア語でのお説教なのでチンプンカンプンでしたが、雰囲気だけは日本の教会と同じでした。


礼拝のあとで牧師と信者の何人かでお茶とケーキをご馳走になりましたよ。たどたどしい英語+あやしいイタリア語でお話しをしましたが、日本とさほど変わりなく歓迎していただいて楽しい時間を過ごしてとてもハッピー。


その後はピッティ宮殿の見学をしたあと市庁舎の傍のレストランで早めの夕食。


一品ずつ三種類の料理を注文して妻とシェアーして戴きました。これでもお腹いっぱいで食べ過ぎでした。外食は「適量」というのが難しいね。でもシーズンオフなのかお客がほとんどいなくてゆっくりできましたね。


あとは付近を散策してホテルに戻りましたよ。たぶん時差の影響かな、眠くて困ります。

明日はバスか電車で少し郊外へ出てみようと思っています。

2009年11月8日日曜日

フィレンツェに到着!



とうとうフィレンツェに着きました。

やっと宿に落ち着いたところ。

ホテルは小さくてぼろっちいけど、フィレンツェの中心部にあるので観光には便利。

でもね、家を発ってから関空を経てアムステルダム経由でフィレンツェへ着くまで実に22時間程かかっていますね。

疲れましたよ。

今夜はゆっくり寝て、明日はゆっくり計画を練ることにします。

2009年11月5日木曜日

学校の先生は大変だね:試用期間の退職・過去最多

これってわかるよねえ、退職したくなる気持ち。

私も若い頃はいつ辞めようかって何度も思ったし、管理職になってからはいつも思っているよ。

ただし、最近はいつになったら辞めさせてもらえるのかなあという感じですけどね。

でも、最近の人なら自分が生徒や学生だったころのことを考えれば教育現場の過酷さは想像がつくはずなんだけどなあ。

やはり立場が代わって自分が実際にその立場に立ってみないとほんとの大変さはわからないのかもしれない。
そのうえ同僚や上司・部下との人間関係も結構大変ですしね。

それにしてもやめていく人の3割が精神疾患というのも人相手の仕事の大変さを物語っている様な気がします。

モンスター○○○・・、などという言葉がいろんな「業界」で聞かれますものね。

実際にこういった相手に当たるとその対応は一人ではとてもできませんね。必ず複数で、しかも管理職と緊密に連携をとって組織的に対応しなければうまくいきません。
そうしたときの対応マニュアルがしっかりあることと、結束して立ち向かう職場風土が欲しいし、学習会なんかも大事ですよね。
それともっと先生を増やしてお互いに気配りができるくらいの「ゆとり」が先生自身に必要だと思います。

せっかく政権交代ができたのだから、政府がもっと教育にお金をかけて欲しいです。






教員:試用期間の退職、過去最多の315人 3割は精神疾患--08年度

 1年の「試用期間」のうちに、教壇を去った公立学校の新人教員が08年度は過去最多の315人(前年度比14人増)に上ったことが、文部科学省の調査で分かった。うち約3割の88人は精神疾患を理由に退職していた。文科省は「イメージと現実とのギャップで自信を喪失し、うつ病などになるケースがある」とし、相談相手となるべき先輩教員らの支えや目配りを求めている。

 教員は、一般の地方公務員(半年)より長い1年の「条件付き採用期間」を経て正式採用が決まる。08年度は小中高校、特別支援学校などで2万3920人が採用され、このうち1年後に正式採用に至らなかった315人は1・32%(前年度比0・06ポイント減)を占めた。10年前(98年度)は0・27%の37人で、8・5倍に達している。

 315人のうち依願退職者は304人(前年度比11人増)。病気が理由だったのは93人で前年度より10人減ったが、5年前の10人、10年前の5人と比べると急増ぶりが際立つ。文科省が今回初めて精神疾患の人数を調べたところ、「病気」の95%を占めた。

 このほか、わいせつ行為や飲酒運転を理由に懲戒免職となったのが5人。不採用決定を受けたのは4人。死亡退職は2人だった。

 また、自ら望んで降任した教員も過去最多の179人(同73人増)に上った。主幹教諭からの降任が89人、副校長・教頭からの降任が84人。望んだ理由は、精神疾患を含む「健康上の問題」が95人と半数を超えた。

 教育委員会から「指導力不足」と認定された教員は4年連続で減少し、08年度は306人(同65人減)。指導力不足と認定され、研修後に復帰し、再度認定された教員8人も含まれる。
【加藤隆寛】毎日jp

国際運転免許証

昨日、突然思いついて「国際運転免許証」なるものを交付してもらいました。

これも突然ですが、思い立ってこの週末から1週間イタリアのフィレンツェへ滞在型観光に出かけます。

インフルエンザが流行ってきている中で内心どうかと思うのですが、親の介護や仕事などさまざまな条件を考えると今しかない!という気になりました。

実は今を去ること10年前に私は研修でその国を訪れて以来、いつか家族と一緒に来たいものだと思っていました。

リビングの壁掛けに置いてある当時のロンドンから送った絵はがきに「明日はイタリアです。いつか家族皆で来ようね」と書いてありましたよ。

10年ぶりに思いがかなうことになったけど、子供たちはそれぞれに忙しくて旅行には妻と二人で行くことになりました。去年結婚25周年でオーストリア旅行を企画したけど、直前にいろんなことが一気に起こってドタキャンになったので今回はそのリベンジですね。

妻が子供たちに伝えたら一様に好意的な反応だった様ですが、末の息子が言うことには「二人ともケンカせんどってな」ですと。

末息子は昔から私たち夫婦の仲が悪いと不安になるようで二十歳になった今も変わりないようです。

あれやこれやと欲張らず、ゆっくりのんびりと過ごしてこれたらよいなあ。レンタカーでちょっと遠出もよいかもなあ。

突然すぎてか不思議と緊張感もなく黙々と準備を進めています。