2008年10月22日水曜日

わが家の庭にも秋の気配



先週は剣山へ登ってたっぷりと紅葉を見てきたけど、その後は仕事が忙しくてなかなか遠くへは行けない。

毎日、朝と夜にワンコと散歩をしているけれど、この頃はさすがに「涼しい」を越えて冷え込んできましたよ。

同じように散歩の時に出会う人たちの服装もすっかり冬支度になって、「寒くなりましたね」が挨拶に加わりました。

今朝、散歩に出ると私の家の玄関に植っている「アメリカハナミズキ」がすっかり色づいて紅葉の時期を迎えていました。

もうこんな時期かと思ってついでに裏庭を見に行くと柿の実も黄色く色づき始めていて、平地のわが家もすっかり秋の気配。

これからだんだんと周りの山々も紅葉しそうです。また、散歩の楽しみが増えました。


2008年10月13日月曜日

見てきたよ、剣山の紅葉





今日は快晴。

予定通りに剣山へ行ってきました。

見事な紅葉に大満足!

無事に帰れたしね。

今回は「見の越し」からリフトで上がって、北回りで「行場」を周り「一の森」を目指しました。

途中でお花畑に寄ったけど、トリカブトくらいで花はほとんどなくてがっかり。時期を過ぎているので仕方ないかな。

2km弱を歩いて「一の森」に到着。アップダウンがきつくてちょっと疲れたね。

ここで休憩。持ってきたおにぎりをほおばって、沸かしたお湯でドリップコーヒーを入れて飲みました。

おいしい空気を吸ってきれいな景色を見ながらの食事は最高!

今度は「二の森」を越えて剣山の頂上へ。これも眺めはなかなかのものがありました。

剣山の頂上はいつものごとく殺風景でしたが、まあ仕方ない。

下りは南側を遠回りしてリフト乗り場へ向かったけれど途中の景色がまた良かった。

手前に紅葉、遠くにジロウギュウが望めて大満足。

全行程、5kmくらい。4時間ほどかかりましたが、何とか足も持ちこたえて無事帰還。

紅葉はこれから一週間くらいが見頃かなあ。

2008年10月12日日曜日

庭のレモンの実


今年は庭のレモンにたくさんの実がついた。

実が小さいうちはそれこそ20個と言わずたくさんの実があったのに、親指くらいになると
自然に落ちていってだんだん少なくなった。自分で勝手に間引きをしているみたいだった。

今は残った10個のレモンが大きくなってもう少しで色づいてきそうな感じ。

いたずらなワンコもこのレモンだけはなぜか手を(口かな)出さない。

もう少ししたらこのレモンを搾って生ガキを食べてみようかな。


帰ってきたブルーアイ





一ヶ月ぶりに修理から戻ってきた、青い目の車。

きれいに仕上げてくれて、元通りになりました。

よかった、よかった。

でもまあ、とんでもなく長くかかったよね。ひょっとして、もう直らないのかと思ったよ。


実は一ヶ月前にふと思い立って妻と二人で剣山に登ろうとして「見の越し」まで車を走らせてました。

以前とは別のルートで行ったんだけれど、今度はいやに細いくねくね道がどこまでも続いていて何だか辿り着けそうになかったよ。

そうこうしているうちに道幅いっぱいの大型ダンプが目の前に!

ダンプの運転手はこっちに下がれって言うんだけれど、なにしろ道が狭くって対向できるところまではくねくね道を100mくらいバックしないとダメだった。時間も気になって少しスピードを上げたのがいけなかったね。

ようやく広そうなところに出たと思ったら突然、車の左側にガリガリっときたよ。

何とか対向はできたものの私の車の左側はガードレールの出っ張りで思いっきり引っ掻いて後ろから前までぼこぼこになってました。

おまけにパンクして走行不能。ガードレールが相手では勝てません。

ダンプの運転手は「気の毒にな・・」とか言って、そのまま下っていきました。

結局その日はレッカー車に車と一緒に乗って家まですごすご帰ってきましたよ。

後ろを見る車載カメラも付いていて普段ならコツンとも当てたりしないのに、このときはねえ。でも、車は壊れても二人ともケガがなかったのがせめてもの救い。

疲れているときには無理しない、慌てない、どんなときにもゆっくりと・・。

で、明日は妻と二人でリベンジに行ってきます。(返り討ちに遭わねばよいが・・)




2008年10月6日月曜日

映画「おくりびと」を観てきた

日曜日の朝、いま話題になってるらしい映画「おくりびと」を観てきた。

正直言ってなんか重そうで、土曜日に妻に行こうと言ったら今ひとつ乗り気でなかったのでその日は行かなかった。

でも、やっぱり気になって一人で行ってきました。

よかったよ!

ひさびさにいい映画を観たよ。

うーん、納棺師の仕事は葬儀の一部だけれどこんな「おくりかた」もあるんだね。

7月からこっち、私の母を看取りその後も知人の家族やら3人のお葬式に出たけれどそのつどいろいろ考えさせられた。

単なる通過儀礼と言うのでなく、それぞれに生前の故人を偲び、お別れをするっていうのがお葬式だよね。

集ったひとたちにそういう気持ちのゆとりを持たせてくれるような、それとなく気付かせてくれるような葬儀のあり方って大事かも。

まだ、映画をご覧になっていない方はぜひどうぞ。

重い題材だけど作りがよくて、役者もよくて途中で涙が何度も出てきたし、観終わってもじわーっと感動の余韻が残ります。

2008年9月28日日曜日

不規則発言連発の中山国土交通大臣辞任

不規則発言連発の中山国土交通大臣辞任だって。

自民党もよほどの人材難なんだね。


「政権投げ出し首相」が二人も続いて、えーって思っていたら今度はこんなことがね。

で、発言自体を「確信的」と自らのたまうあたりは政治家としてもよほどお粗末としかいいようがない。言いたくても政治家として、というより政治家なればこそ言ってはいけないことがあると思う。ましてや大臣になったばかりだよ。

こんな方でも国会議員になり、大臣になる自民党っていったいどうなのかなあ。

政党としても、もう限界か?

次の総選挙ではきちんと国民の審判を受けて、根本的にやり直したほうがいいようですよ。




中山大臣辞任、日教組発言撤回せず TBS News

 誕生からわずか5日目、麻生内閣の一角に早くもほころびが生じました。「日教組の強いところは学力が低い」などといった一連の発言で強い批判をあびた中山国土交通大臣が28日、辞任しました。中山大臣は日教組に関する発言については撤回しませんでした。

 「補正予算、あるいは給油法案、こういったものをスムーズに審議して頂くために、自ら身をひくことを決意した」(辞任した 中山成彬国交相)

 就任からわずか5日目。中山大臣は28日朝、麻生総理に辞表を提出しました。問題となった成田空港建設への反対闘争は「ごね得」、「日本は随分内向きな単一民族」とした発言については改めて撤回した中山大臣。

 「アイヌの問題とか空港の問題については舌足らずだったと思ってます」(辞任した 中山成彬国交相)

 しかし、「日教組の子供は成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低い」「日本の教育のガンは日教組」「日教組は解体する」などと、重ねて繰り広げた日教組に対する発言については・・・。

 「日教組の問題は、国土交通省の建物の中で発言したことは、撤回させて頂きましたが、政治家中山成彬としては、撤回したという考えはありませんでした」(辞任した 中山成彬国交相)

 「基本的な政治信念である」として撤回はしないと述べ、28日も日教組批判を繰り返しました。

(日教組発言について)
 Q.辞める覚悟があって言った?
 「はっきり申し上げまして、確信的にあえて申し上げました。 国民の関心を引きたかった。(日教組は)子どもたちをダメにして、日本をダメにしようと、そういう闘争方針で活動している方々がいる」(辞任した 中山成彬国交相)

 1時間に及んだ辞任会見。その大半が国土交通行政とは管轄外の日教組批判で終わりました。

 「どうもみなさん、短い間でしたが、ありがとうございました。ご迷惑おかけしました」(辞任した 中山成彬国交相)
(28日17:33



沖縄タイムス 2008年09月28日 社説

[中山国交相辞意]
度が過ぎた偏見と暴言  
 中山成彬国土交通相が自らの発言で二十七日夜、辞任の意向を固めた。
 失言は一つだけではなかった。報道各社とのインタビューの中で、成田空港建設の反対運動について、「ごね得というか、戦後教育が悪かったと思う」と語り、外国人観光客の誘致に関連して、「日本は内向きな単一民族」との見解を示した。さらに、大分県の教員採用汚職事件について、「日教組が強いところは学力が低い」などと批判した。

 問題発言の連発には、批判の的となった関係者・団体から抗議が相次ぎ、野党だけでなく、与党の間からも発言を訝る声が出た。

 国交相は、その後発言を撤回し謝罪した。しかし、それで話は収まらなかった。二十七日午後には宮崎市内での党県連の会合で、「日教組は解体しなきゃいかん」と述べ、記者団に「日本の教育の『がん』である日教組をぶっ壊すために私が頭になる」とまで言い放った。現職の閣僚にあるまじき暴言だ。

 中山氏には過去にも失言・放言がある。

 二〇〇四年の文部科学相時代には、歴史教科書について、「極めて自虐的」と指摘し「従軍慰安婦や強制連行という言葉が減ってきたのはよかった」と述べ、翌〇五年には「そもそも従軍慰安婦という言葉は当時はなかった」と発言。いずれも韓国の激しい反発と怒りを招いた。

 また、昨年の「集団自決(強制集団死)」をめぐる教科書検定撤回を求める県民大会に、「十一万人集まれば教科書を変えられるのか」と異議を唱え、撤回の動きを批判した。

 政策を国民に伝えなければならない政治家が、自らの発言に責任を持たないといけないのは当然だ。政治家の言葉は重く、影響力は計り知れない。それだけに、自らの考えを十分に咀嚼、吟味した上で発言することが求められる。

 はたして、中山国交相に内閣の一員としての自覚がどれほどあったのだろうか。国交相の発言は、右派イデオロギーに凝り固まった偏見と事実誤認が目立った。過去を含め、配慮を欠いた不見識な発言が多く、閣僚としての基本的な資質に疑念を抱かざるを得ない。

 とりわけ、「単一民族」発言は、今年六月に衆参両院が「アイヌ民族を先住民族と認める」と決議したばかりだけに、一体国会議員として日々、何を学んでいるのかと問いたくもなる。

 麻生内閣はスタート早々、大きくつまずいた。河村建夫官房長官が代表を務める選挙区支部が、独禁法違反で排除勧告を受けた企業から寄付を受けていたことが判明。同様の献金は、小渕優子少子化担当相や中山国交相の選挙支部でも発覚した。

 今回、国交相の発言への対応には国民の厳しい目が注がれるだろう。発足直後の閣僚辞任は、麻生太郎首相の任命責任も大きく問われ、難題を抱え込んだまま、国会での論戦や総選挙に臨むことになる。国交相の一連の発言をどう考えるのか。首相の所見を問いたい。

2008年9月27日土曜日

<小泉元首相>地元・横須賀で引退表明

とうとう小泉さんも限界を悟ったみたいだね。

小泉劇場で観客(国民)をわかして、なぜか強い国民支持を背景に「自民党をぶっ潰す」まではまあ許しましょう。

その後は「構造改革なくては日本の未来はない」と言い続けて規制緩和に民営化、とりわけ必要もない郵政民営化を果たした。そして、すべてを市場原理に委ねたね。

ここが政治の転換点。以後国民の生活は痛みを伴うばかり。国民が痛いといえば「改革は痛みを伴う。まだ道半ばだ」といいつつ構造改革ならぬ構造破壊をやちゃった。

いまは、この5年間の悪政のつけが今回ってきているんだよ。

米騒動だってさ、‘04年に規制緩和の一環で食糧管理法を改正して登録制から届け出制にして扱いが20トン以下なら届け出も不要にしてしまった。この頃から伝票だけで米を売買するブローカーが急増したといわれている。闇転売の始まりだよ。事故米が国産米になったりアメリカ産米になったりいくらでも偽装ができるような仕組みになった。ほかにも社会保障の切り下げによる医療崩壊など悪いことはいっぱいあり。
誰が首相になってもこの方の尻拭いは難しい。

森元首相がねこんなことを言っている。

小泉改革は功罪あり=森元首相 exciteニュース
自民党の森喜朗元首相は25日夜、小泉純一郎元首相の引退に関し、「(構造改革には)功罪があり、功の方はもう少し時間をかけないと分からない」と指摘するとともに、「むしろ今は、罪の方が出ている。党総裁選で麻生太郎首相が党員票を多く取ったことにも表れている」とのコメントを発表した。(了)
(2008/09/25-21:48)

同じ自民党の長老がこんな見方をしてるんだよね。結構醒めてよく見ていると関心した。

それとももう一つ。地元横須賀で引退表明したのはいいとして、自分の後継者として次男を紹介しお願いしたという。いつから国会議員は世襲制になったのかね。阿倍も福田も麻生も世襲議員だよ。同じように「まともな」国会議員としては育たないんじゃないですか・・。

かつてのカリスマは、最後はただの「親ばか」であることをみせてくれました。



<小泉元首相>地元・横須賀で引退表明 2008年9月27日 20時41分
                         毎日JP
 小泉純一郎元首相(66)は27日、地元の神奈川県横須賀市で講演し、「次の総選挙には出馬しない決意を固めた」と述べ、次期衆院選に立候補せず、引退することを正式表明した。

 小泉氏は講演で「総理在任中の5年5カ月で国会議員としての能力を使い切ってしまった」と理由を説明。さらに「衆院議員の任期を全うしてから辞めようと総理を辞めたときから決めていた」と語り、06年9月に首相を退いた直後に引退を決めていたことを明らかにした。今後は「シンクタンクの顧問として政治活動は続けていきたい」とした。
また、後継の次男進次郎氏(27)について「私の27歳の時よりしっかりしている。親バカぶりを容赦いだき、私に賜ったご厚情を進次郎にいただけるとありがたい」と紹介。壇上に上がった進次郎氏は「期待される政治家になれるよう一生懸命努力したい」と決意表明した。

 小泉氏は衆院神奈川11区選出で、当選12回。この日も「客観的に自分が見られるか私は分からないが引き際を考えてきた」と福田康夫前首相の退任会見の言葉を引き合いに出すなど、最後まで「小泉節」は健在。ただ、「次の選挙に向かって今まで以上に活躍できるか自分の胸に手を当ててみたが、もう無理だった」と首相在任中は見せなかった寂しさもにじませた。【笈田直樹、吉田勝、山衛守剛】