2011年4月5日火曜日

宮城への医療支援・第3陣の報告会



昼休みに宮城への医療支援の第3陣の報告会が開かれた。

丁度、新入職員のオリエンテーションも開かれていた時期だったので一緒に聞いてもらった。

支援したのが先週だったので病院での救急医療は峠を越えていて、毎日避難所での診療が仕事だったそうな。

避難所の生活も長くなると疲労がたまり、いろいろとストレスも重なって身体の不調を訴える方も多かったという。

早く生活自体が再建されないと被災した人たちもそろそろ限界ですよね。



病院前からは、大勢の仲間に見送られて先ほど医療支援の第4陣が出発しました。

来週以降もほぼ毎週送りだす予定で、第8陣までの支援医師が決定しています。

支援に行く者も、その留守を守る者もともに支援者です。

これからも自分たちができる支援をしっかり続けていこうと思います。

2011年4月4日月曜日

低いレベルの汚染水 海に放出!

これは大変なことだが、 {仕方がない}≒{他に方法がない}ということですよね。

でも、ほんとに大変なことだ。



低レベルの汚染水 海に放出へ

4月4日 16時58分 NHKニュース
東京電力は、福島第一原子力発電所の事故で、敷地内にたまっている高濃度の放射性物質に汚染された水の貯蔵先を確保するため、低いレベルの放射性物質に汚染された水、あわせて1万1500トンを、準備ができしだい、海に放出することを明らかにしました。東京電力によりますと、放出される水に含まれる放射性物質の濃度は、法律で定める限度のおよそ100倍に当たるとしていますが、付近の魚などを毎日食べ続けた場合、1年間に受ける放射線量は0.6ミリシーベルトで、一般の人が1年間に浴びても差し支えないとされる1ミリシーベルトを下回るとしています。
福島第一原発では、2号機のタービン建屋にたまった水から、運転中の原子炉の水のおよそ10万倍という高い濃度の放射性物質が検出されているほか、タービン建屋の外にある「トレンチ」と呼ばれるトンネルにたまった水からも高い濃度の放射性物質が検出されていて、その汚染された大量の水の処理が課題となっています。このため東京電力は、これらの高濃度の放射性物質に汚染された水の貯蔵先を確保するため、敷地内に保管された低いレベルの汚染水を、準備ができしだい、海に放出することを明らかにしました。放出されるのは、液体廃棄物を処理する「集中廃棄物処理施設」にたまっているおよそ1万トンと、5号機と6号機の地下水を集める「サブドレンピット」と呼ばれる施設に保管されている1500トンです。東京電力によりますと、今回の放出は、原子炉等規制法64条に規定された「危険時の措置」に基づくもので、災害が発生するおそれがあるため、応急の措置として行うということです。放出による放射性のヨウ素131の濃度は、法律で定める排出基準の限度のおよそ100倍に当たるとしていますが、付近の魚や海草などを毎日食べ続けた場合、1年間に受ける放射線量は0.6ミリシーベルトで、一般の人が1年間に浴びても差し支えないとされる1ミリシーベルトを下回るとしています。東京電力福島事務所は4日午後4時すぎから会見し、低レベルの放射性物質に汚染された水を準備が整いしだい、海に放出することを地元の記者らに説明しました。東京電力の技術・広報担当の白井功さんは「さらに影響が拡大するおそれがあり、応急措置を講ずることにした。地元の方々にはご迷惑をおかけしていますが、さらに一段のご苦労をおかけすることに非常に申し訳なく思っています」と、ことばを詰まらせながら謝罪しました

2011年4月3日日曜日

お花見


朝、ワンコの散歩のついでに親子三人で近くの公園までお花見に行ってきました。

まだ少し寒くて7分咲きかな。

2011年3月29日火曜日

宮城への医療支援・第2陣の報告会





本日午後、宮城への医療支援の第2陣の報告会が開かれました。

参加職員は一回目の半数くらいだったけれど、県会議員さんも来られて熱心にメモを取っておられましたよ。

歯科の先生も行っていたこともあり、新たな視点で今後の支援のあり方が見直されて行くと思います。

今、職員には4−5月の宮城への支援者をエントリー制で募集をしています。

医局からは続々と希望者が増えていて、二人の女医さんも含めて第4陣以降で6名もいます。

実のところこちらも日常診療だけでも大変な日々を送っているのですが、被災地でがんばっている仲間や被災者さん達のことを思う気持ちがうれしいですね。




2011年3月25日金曜日

宮城への医療支援継続中


昨夜、医療支援の第2陣が無事帰ってきました。

昼休みに簡単に報告を聞いたら、避難所に多くの人は残っているものの食事は何とか3度とれているそうです。水も暖房も入っていて最低限の条件は整ったらしいです。

ただ、インフルエンザや嘔吐下痢などの感染症が広がっているそうです。また、今回は歯科医師も入ったのですが口腔衛生が最悪の状態でお年寄りの肺炎の原因の一つにもなっているのではないかとのことでした。

長期になればなるほどストレスもたまるでしょうし、県の方でも精神科の支援なども検討されているようで知人が近々派遣されるとの情報も入ってきました。

私の病院も本日第3陣を送りだしたところです。

引き続きさまざまな支援が必要ですね。

2011年3月20日日曜日

昨夜、宮城県塩釜の医療支援から帰ってきました




15日早朝に出発して福島原発事故の動向を見極めながら高速道路をひた走り、17時間かけて宮城県塩釜市の坂総合病院に到着しました。

仙台東ICを降りると明かりがほとんどなく壊れた家屋と車が道の両側に放置され、地震と津波被害のあまりのひどさに息を飲みました。ニュースでは断片的に観ていたものの街灯や信号機の点いていない廃虚とも言える街の惨状は想像を超えたものでした。

坂総合病院は比較的高台にあり、耐震構造の新築病院だったのが幸いしてほとんど無傷でした。震災後から殺到する患者さんの対応に、被災者でもある職員と支援者達が24時間態勢でがんばっていましたよ。

私たちはとりあえず宿泊場所に案内され持参した寝袋で仮眠をとりました。
翌朝から医師、看護師、事務にそれぞれの仕事が割り振られ支援活動開始です。

私は病院内で日中、夜間ともに救急外来を担当して次々と運ばれてくる患者さんを診ていました。発生後5日も経過するとやって来る患者さん達の多くは通常見かける疾患が主になっていました。
ただ劣悪な環境の避難所や何とか住める程度に残った家屋に住んでいるため暖房がなく、水や食料も十分に行き渡っていないようで治療が終わってもまたそこへ帰っていかなくてはならないことに対する不安を隠せない様子でした。

医療支援はもちろん大切ですが、この被災地の方々のもとに一刻も早く暖かい住まいと食料が与えられるようになることを願わずにはいられませんでした。そのためにも国や自治体がもっと迅速に強力に動いて欲しいと思います。

実働は三日間でしたが、毎日の様に全国各地の病医院から続々と支援に訪れる仲間達を頼もしく感じながら昨日は14時間かけて夜遅く帰ってきました。

今は無事に帰り着いたことにほっとしていますが、心中は複雑で整理がつきかねています。
私たちが彼らのためにしてあげられることは他に何があるだろうか・・と。

今朝、医療支援の第2陣が現地に向けて出発しました。とりあえずは今できることを続けていくつもりです。


2011年3月14日月曜日

明日は宮城の塩釜まで医療支援に行きます

日が経つに連れて地震と津波で受けた被害の大きさに驚く日々。

同じ系列の被災地の病院からの支援要請に応えて私たちも医療支援に向かうことになった。

第一陣は医師と看護師各1名、事務2名の少人数編成だが、中小病院の私たちとしてはこれが限度。私は立場上、一番乗りです。

福島の原発事故や頻発する余震など不安な要素はいっぱいあるけれど、現地でがんばっている仲間のことを思うとやはり行かなければと思います。

とりあえず5日間ですが、支援もしながら後に続く人たちのためにも情報を集めて来たいですね。

無事に帰ってこれますように・・。