2010年5月19日水曜日

「たぬき」を目撃

今さっき雨中を近くの郵便ポストまで郵便物を投函しに歩いていたのですよ。

そしたら広い道路の反対側の歩道を反対向きに歩く小動物が目に入りました。

初めは猫かなあと思ったけれど、どうも体形が違うよなあと気になってずっと見ていたら
向こうも気がついたのかこちらを見ましたよ。

お顔は「たぬき」そのものでした。

携帯を持っていたので写真でもと近づいたら、残念ながら近くの家の庭に逃げ込んでしまいました。

このあたりは山際だからいろんな動物を見てきたけれど「たぬき」は初めてだったので興奮しましたよ。

向こうは迷惑だったろうけど、癒されますね。

2010年5月13日木曜日

自殺白書「20~30代自殺率、最悪・・」

警察庁から昨年の「自殺白書」が発表されたニュース。

「昨年の自殺者は前年を596人上回り、1978年に統計を取り始めてから5番目に多く、12年連続で3万人超となった。」

見出しにもあるけど20~30歳代の自殺率が最悪で動機に「失業」や「生活苦」が大幅に増加したそうな。50歳代では「孤独感」が目立ったんですと。

これって個人の問題というより、「政治・経済の失政のしわよせ」に個人が押しつぶされたって感じる。

経済の混乱は世界的な現象だけれど、失業したり生活苦になったからといって自殺するのは先進国ではめずらしい・・?

失業保険や生活保護などのセーフティネットが十分に機能してればこんなことにはならないはずだが、悲しいことにこの国の福祉は
というようなタイトルの本が出版されるくらいのレベルだからね。

せっかく政権も民主党主体の連立政権に代わって「国民の声を大事にする」様になったはずなので「物言わぬ死者の声」にもよく耳を傾けてほしいと思う。

平和なはずの日本で若い命を自ら絶つ人々がこんなにも多いという悲しい事実を鳩山さんは知っているのかな。




20~30代自殺率、最悪…動機に生活苦

 警察庁は13日、昨年1年間の全国の自殺者3万2845人の動機や年齢別などの調査結果を公表した。

 各年代別の人口10万人当たりに占める自殺者の割合(自殺率)は20歳代が24・1人で、30歳代も26・2人と前年に続き過去最悪を更新した。動機別では「失業」や「生活苦」が大幅に増加し、50歳代以降の「孤独感」も目立った。景気低迷や人間関係の希薄化が進み、若年層から高齢者までの幅広い世代で先行き不安が広がっている実態を示した格好だ。

 ◆12年連続3万人台◆

 昨年の自殺者は前年を596人上回り、1978年に統計を取り始めてから5番目に多く、12年連続で3万人超となった。

 遺書などから動機を特定できたのは2万4434人。52項目(複数選択可)に分けられた動機のうち、健康問題が1万5867人と最多で、中でも「うつ病」は6949人で全項目中トップ。2番目に多かった経済・生活問題を動機とした8377人の分析では、「失業」が前年より65・3%増の1071人。「就職失敗」354人(前年比39・9%増)、「生活苦」1731人(34・3%増)も含めると全体の約4割を占め、雇用や家計の深刻さもうかがえる。

 年代別では、50歳代が最多の6491人(2・0%増)と全体の19・8%を占め、60歳代5958人(3・9%増)、40歳代5261人(5・9%増)となり、30歳代の4794人は99年より997人増え、20歳代の3470人(0・9%増)とともに自殺率で過去最悪を更新した。

 50歳代以降の動機は「孤独感」が前年より20・2%多い440人。20~30歳代の若年層では、「家族からのしつけ・叱責(しっせき)」が63人(70・3%増)、「仕事疲れ」311人(19・2%増)が前年より大幅に増加している。職業別では、無職者1万8722人が全体の57%を占めた。「年金・雇用保険等生活者」は前年より14・8%増の6028人で、これに失業者2341人が続いた。また、自殺者のうち小中高校生は計306人と前年並みで、「いじめ」は7人だった。

(2010年5月13日12時01分 読売

2010年5月9日日曜日

ゆずとレモンとブルベリー




庭の草木もいっぱい花を咲かせています。

今年はゆずとレモンの花がたくさん咲きました。

去年は裏年だったのか、ゆずもレモンもほとんど収穫なし。

今年は大いに期待が持てます。

ブルーベリーは相変わらずたくさんの実をつけてくれそうです。

出勤前につまんで食べるとうまいんだよ。

2010年5月5日水曜日

消えた黄菖蒲の群生地



去年までワンコとの散歩道に黄菖蒲の群生地があった。

いつも楽しみにしていたのだけれどいつの間にか田んぼになってしまった。

国有地だっただけにそのままにしておいてくれたらよかったのに・・。


2010年5月4日火曜日

核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて平和行進

核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて渡米している日本の被爆者や広島、長崎市長や関係団体の人々がニューヨークで核廃絶を訴えて行進をした。ちょうどオバマが「核兵器のない世界」を唱えているときだけにさぞかし意気が揚がったことだろう。

私の勤めている事業所からもある団体を通して2人の職員をこの行進に派遣した。もちろん費用はカンパだよ。先月、そのうちの一人が県内の被爆者の声を集めたのだけれど、この行進に持っていきたいので英訳をして欲しいと依頼してきた。まわりの皆が断るので、私にはそんな英語力はないが自動翻訳のソフトでのそれでよければと引き受けた。そうして出てきた英語の文章は所々は変だが、全体としてはなんとか意味を伝えていたので少し手直しをして渡した。一緒に活動している人の中に英語の教師もいるとのことなので校正をお願いするとのことだった。
これだけたくさんの人々が集う集会になってよかったね。

彼女が持っていった被爆者の声は次のようなものだったよ。(了解を得て掲載します。)

2010年・NPT再検討会議へ向けて

~被爆者の方からのメッセージ~

被爆者として60余年を生きてきて原爆がもたらした苦しみについて、世界の人にこれだけは伝えておきたいと願うことは

一瞬にして奪われた一番楽しいはずの青春時代、心身共に傷つき何十年も思いだしたくない。口にすることすら嫌な出来事で、未だに体調不良に悩まされております。

長崎県大村病院で看護の仕事をしており被爆者の患者を収容しました。全身火傷で病院に来られ、第一声は「水、みず」と、水をほしがり、急いで水を飲ませてあげましたが、苦しがってばたばたとベットから落ちました。髪が抜けた事に唖然とした顔で、私はまともに見る事が出来ず。絶対にあってはならない原爆投下に市民は唖然としていました。非戦闘人を殺した事は、私は許せません。

二度と起こさないように願っています。入市した時の地獄のような風景、今だに思い出す事があります。

人間だけでなく生き物(植物・動物全て)殺してしまう。怖いやゆうものでない。毎年、8月6日が来たら1ヶ月位、ご飯が食べられない。戦争は二度としてはならない。

戦争はしないでください。核兵器は絶対にやめてください。

私は少年兵として志願して兵隊になり広島で通信兵として勤務していました。8月6日原爆を投下され、あの悲惨な状態を三ヶ月見ました。絶対に戦争によって一瞬で破壊されるこのような兵器を使用してはならないと、世界に伝えていかねばと思います。

本人は今年90歳、病気療養中の為、家族としての思いを記します。核兵器の使用は絶対にやめてください。世界平和を願っています。

原爆が人間にもたらす苦しみや痛みは計り知れない。このような事のないように原爆がなくなるように運動しましょう。

被爆二世、兄弟四人、全員肝炎で苦しんでいます。

「お母さん、痛い、イタイ、水、みず」と言いながら天国へ、あの子供たちの顔が頭の中から消える事はありません。戦争のない平和を願っております。

私は被爆者を収容した病院で救護をしました。本当に地獄のような毎日でした。被爆時の人々の苦しみや若くして亡くなった人々を、又後々の健康に対する不安等、あの惨事を二度と繰り返さないために今の子供たちに伝えていきます。

強者が弱者の言い分を聞かず、力にものを言わせる社会となってしまった今、再び戦争が起きれば、勝国と負ける国が出来る。

負けて生き残る悲惨を見るわけにはいかない。女や子供を殺す事によって得る勝利の意味は何か。

世界から恐ろしい戦争をなくしてほしい。

核兵器の使用を禁止しないと、人類は滅亡への道をたどっていく。

It is message from the A-bomb victim for 2010 / NPT reexamination meeting.

Praying when only this wants to tell a world person about the pains that I live in 60 rest of life as an A-bomb victim, and an atom bomb brought.

I am hurt together and do not want to remember the youth that should be the most fun, the mind and body which I was robbed of instantly for dozens of years either.

Even that I eat it is still troubled in an unpleasant event by poor physical condition.

I did the work of the nursing in Omura Hospital at Nagasaki prefecture and took the patient of the A-bomb victim.

When I could come to the hospital by a burn from head to foot, and the first utterance "watched water", I wanted water and served it water hastily, but I suffered and fell from Bet noisily.

That, with a face dumfounded by hair having fallen out, I look directly.

The citizen was dumfounded by absolute atom bomb throwing down.

I cannot allow to have murdered a non-battle person.

I pray to never wake you up.

I may still remember the scenery that it seems to be hell when I came in the city.

I kill a creature (all the plant / the animals) as well as a human being.

Fear is not a thing to talk no.

Rice is not edible every year for around one month if August 6 comes.

You must never do the war.

Please do not fight.

Please certainly give up having the nuclear weapon.

I applied as a boy soldier and became a soldier and worked as a communication soldier in Hiroshima.

It was dropped an atom bomb on August 6 and looked at that miserable state for three months.

I think that the world cannot stream down it when I must never use such a weapon destroyed by an instant by war.

The person himself writes down the thought as the family this year for 90 years old, disease medical treatment average.

Please certainly stop the use of the nuclear weapon.

I pray for world peace.

Pains and the pain that an atom bomb brings to a human being are immeasurable.

Let's exercise so that an atom bomb disappears not to make any such thing.

I suffer from a being bombed Nisei, brothers four, all the members hepatitis.

The face of those children cannot disappear to heaven from a head while telling you to "look mother, having an ache, having a pain in, give me water".

I pray for peace without the war.

I rescued it at the hospital which accommodated an A-bomb victim.

It was really every day such as Hell.

Because uneasiness for the future health never repeats that tragic incident again, present children can stream down the pains of people at the time of the being bombed and the people who died young.

A strong man does not hear the say of the weak, and rely on power; if war happens again now that social, it is possible for a victory country and a country to be defeated by.

I cannot look at the misery I lose, and to survive.

What is the meaning of the victory to get by murdering a woman and a child?

I want you to get rid of terrible war from the world.

The human traces the way to extinction when I do not prohibit the use of the nuclear weapon.


ゴールは核廃絶 被爆者NYを行進

横断幕やプラカードを手に、行進する参加者(2日午後、米・ニューヨークで)=小西太郎撮影

 【ニューヨーク=岡田浩幸】核拡散防止条約(NPT)再検討会議で渡米している日本の被爆者や広島市の秋葉忠利市長、長崎市の田上富久市長らが2日(日本時間3日)、ニューヨークの中心部で核廃絶や平和を訴える行進をした。

 行進には約2万5000人(主催者発表)が参加。スタート地点のタイムズ・スクエアで、秋葉市長が平和記念公園の「平和の(ともしび)」から採火したトーチを掲げ、「ゴールはただ一つ。地球上からの核廃絶だ」と訴えた。日本からの約2000人も「No more HIROSHIMAS No more NAGASAKIS(ヒロシマ、ナガサキを繰り返すな)」などの横断幕やプラカードを手にし、国連本部までの約2キロを歩いた。

(2010年5月4日 読売新聞)