2010年4月27日火曜日

早くも田植え


今朝は前線の通過で大荒れの天気。

さすがに朝の散歩は億劫だったけど、雨の中でもワンコは当然みたいに私を待っていましたよ。

時折強い風が吹いて傘が壊れそうになる程でしたが、いつものように散歩に出ました。

昨日は田んぼに水が入っていたのでそろそろ田植えかなと思っていたら、しっかりと稲が植わっていましたね。

そのうちに、おたまじゃくしやヤゴなんかが現れて楽しませてくれそうです。

2010年4月25日日曜日

朝の散歩で見た花は・・





いつも通りの朝の散歩。

桜が終わったら、今度はツツジ。

いつのまにか移ろっていくなあ。

玄関の花もいろいろで、ブルーベリーやアメリカハナミズキなんかも花をつけてましたよ。

気持ちにゆとりがないとせっかくの花も見落としてしまうね。

2010年4月24日土曜日

こいのぼり


春の長雨もとぎれて快晴となった朝。

ワンコと散歩に出たら、近所のお家で今年もこいのぼりをあげておられました。

お孫さんのために毎年あげるのだそうです。

わが家は孫がいないので(普通ならいてもおかしくはないのだけれど)長い間、こいのぼりとは縁がありません。

こうやってご近所のこいのぼりを見ては「端午の節句」を思い起こしています。

2010年4月20日火曜日

井上ひさしさんと米原万理さんの関係

先日から井上ひさしさんの「ボローニャ紀行」を読んでいます。

井上さんがイタリアの都市「ボローニャ」に惹かれて30年にわたり勉強を重ねた後にようやく2003年12月に当地を訪ね旅した時のエッセーです。

実は私も10年余り前に行ったことのある都市だけに興味深いものがあります。

冒頭でボローニャを訪れることになったいきさつが書いてあるのですが、いざイタリアのミラノ空港へ降りたっての描写が面白い。

ついた途端あっというまに空港の外で、それまで書きためていた大切な資料と二百万円と一万ドルの入ったお気に入りのイタリア製の鞄を盗まれてしまいます。

大いに落胆しつつボローニャの宿舎に着いて日本にいる奥さんに鞄を盗られてしまったと電話しますが、奥さんの反応がじつに面白いのですよ。

少し紹介しますが、イタリア暮らしの長かった奥さんはハハハと笑いだして「イタリアを甘く見たわね」「イタリアは職人の国よ。だから泥棒だって職人なんです」ですと。井上さんをせめないで「これからは気をつけてね」みたいなやり取りで終わっていて、私はこの奥さんの反応にびっくりしました。なんという太っ腹な達観した人なんだろうとね。へえーこんな人もいるんだと思いましたよ。

そしたら今日、この奥さんはあの米原万理さんの妹さんのユリさんであるという記事が目に飛び込んできました。

ここで納得!

あの米原万理さんの妹さんならあの反応は十分にありうる話と「ガッテン」がいきました。
同時に井上ひさしさんの「生き方」のバックグラウンドの一端を窺い知ることにもなりました。

そんなことを考えながら井上さんの本を読んでます。

お二人のご冥福を心よりお祈りいたします。





絶筆となった井上さんのエッセー
 劇作家・小説家の井上ひさしさんの絶筆は、義姉の作家・米原万里さん(2006年没)をしのぶエッセーだったことが14日、わかった。

 井上さんが理事長を務めた市川市文化振興財団の関係者が妻ユリさんに確認することができたという。文章は千葉県市川市内で開催中の「米原万里展」の会場に展示されている。

 米原さんはロシア語通訳の傍ら、「不実な美女か貞淑な醜女か」「魔女の1ダース」などの作品を残した。ユリさんは妹で、井上さんは義弟にあたり、そんな縁で、財団は昨年、企画展の準備を進めていた。

 昨年10月頃、ユリさんに「会場展示用のエッセー的なあいさつ文を井上さんに書いてほしい」と依頼したが、体調不良を理由に断られた。その後、学芸員が執筆し、今年2月13日頃、事実確認の意味もあり原稿をユリさんに送った。

 その折、たまたま病院から外泊で帰宅した井上さんが原稿を一読。「回復したら執筆を再開するので、リハビリになれば」とペンを握った。文字数は、原稿用紙なら3枚程度の約1040字。2月16日に独特の丸文字がファクスで送られてきた。

 冒頭は「2006年の5月は、米原万里の作品に親しんでいた読者には、哀(かな)しい初夏になりました」と始まり、追悼部分の後に型破りな米原さんの人柄を「痛快この上なし」「まるで曲芸名人の華麗な技」などと表現する。

 さらに、「『読むこと、それ自体が快楽である』という、ごくごく当たり前のことを教えてくれた」「ヘンにマジメな道徳家の揃(そろ)ったこの国に、いったいどうして米原万里のような」などと洒脱(しゃだつ)を展開。経歴、企画展あいさつと流れる。

 9日夜の井上さんの死後、財団関係者が「時期的に絶筆になるのでは」と気付いた。14日午前、神奈川県鎌倉市の遺族に連絡を取り、ユリさんが「『病後の腕ならしに』と語っていた。間違いなく最後の直筆原稿」と答えたという。

 財団関係者は「初め原稿には署名がなく、『名前はいらない』と固辞された。名文なのでと説得して、ようやく了解を得た」と話す。別の関係者は「井上さんは『遅筆堂』の異名を持つほど、原稿が遅い。それが、2、3日で書き上げるとは」と首をひねる。

 財団では早速、直筆原稿の書かれたファクスを捜したが、今のところ見つかっていない。

 企画展は5月9日まで、市川市真間の芳沢ガーデンギャラリーで。問い合わせは同館(047・374・7687)へ。

(2010年4月15日08時55分 読売新聞

2010年4月10日土曜日

リベンジ



昼前に花びらの舞う桜並木を抜けて、再び淡路の温泉へ。

ゆっくりと貸し切りの感のある温泉に浸かったあとはお楽しみのホテルの昼食。

前回来たときに息子達が食べてた「牛ステーキ丼」があまりにおいしそうだったので、今回は迷わず注文。

だから、リベンジ!

結果は予想にたがわずおいしかったけど、ボリューム満点で若者向けでしたよ。

ここのホテルで食事すると温泉料金が500円になるということも判明。

これはいよいよお得ですよ。


2010年4月3日土曜日

満開の桜


暖かくなると一気に花開いて満開。

一面の花盛り。

おまけにお花見にはもってこいの陽気です。

2010年4月1日木曜日

おめでとう


今日は全国的にもあちらこちらで新入職員を迎えての行事が行われたみたい。

わが職場にも待望の新人が やってきました。

朝礼でくす玉を割ってお祝いしましたよ。

おめでとう!

長いあいだ勉強を続けて大学を出て、最後に国家試験に合格してはじめて就職がかなう。

でも、これからが本当の勉強の始りなんだよね。

人生は長い。

大変だろうけどがんばろうね。